生涯
1806 年、ドイツのレーゲンスブルクに生まれた。父・兄ともに音楽家の家系で、自身も若くからピアノと作曲に親しむ。
1832 年にパリへ移住。サロン・ピアニストとして名声を得るが、後世に残ったのは演奏記録ではなく、教育用の練習曲集だった。
「25 の練習曲 Op.100」「18 の練習曲 Op.109」「12 の練習曲 Op.105」は、現在も世界中のピアノ初級〜中級レッスンの標準教材。1874 年にフランス・ボーリュー=シュル=ロワールで 68 歳で没。
人となり
ブルクミュラーの人となりを示す 4 つの側面。
音楽スタイル
ブルクミュラーは1832年、26歳でパリに移り、以後42年間そこで生きた。ドイツ生まれでありながら、その様式はパリのサロン音楽そのものである。軽く、明快で、旋律の輪郭がはっきりしていて、演奏効果が上がりやすい。ドイツ的な対位法の書法よりも、フランスの聴衆が好む洒落た筆致を選んだ。
そのため彼の練習曲には「アラベスク」「牧歌」「狩り」「バラード」「天使の合唱」「貴婦人の乗馬」といったフランス語の標題が付いている。技術課題を抱えながら、同時に1曲の小品として完結していて、人に聴かせられる。舞台音楽の書き手でもあり、バレエ『ラ・ペリ』を作曲したほか、1841年の『ジゼル』初演には1曲を提供している。
代表作品(ピアノで弾ける)
ピアノ史への貢献
作品100『25の易しく進歩的な練習曲』は1851年、パリのブノワ・エネ社から出版された。原題には「小さな手の広さのために作曲し、運指を付した」とあり、子どもの手を前提に設計されている。
この曲集の意義は、練習曲を「発表会で弾ける曲」にしたことにある。技術の獲得と音楽表現の獲得を1曲の中で同時に扱う発想は、後の教育用曲集の手本となった。作品105、作品109を加えた3つの曲集が、今も世界中で使われている。
逸話
1841年6月、パリ・オペラ座で初演されたアダン作曲のバレエ『ジゼル』に、ブルクミュラーは「農民のパ・ド・ドゥ」を書き加えた。この曲は今も『ジゼル』の上演で踊られている。教則本の作者としてしか知られていない人物が、バレエ史上の名作の一部を書いている。
学習者にとって
チェルニーが指を鍛えるのに対し、ブルクミュラーで問われるのは標題をどう音にするかである。「素直な心」「アラベスク」「せきれい」など、曲名がそのまま表現の指示になっている。強弱、テンポの揺れ、フレーズの終わり方を自分で決める練習になる。
最も有名なのは第2番「アラベスク」で、発表会でも頻繁に弾かれる。第15番「バラード」、第25番「貴婦人の乗馬」も定番である。つまずきやすいのは、速い曲で音を並べることに気を取られて表情が消える点と、第14番「スティリアの女」のような舞曲特有のリズム感である。25曲を順に弾く必要はなく、好きな曲から入ってよい。
関連作曲家
この作曲家が登場する読み物
出典・参考
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