Composers

作曲家

Composer Profile

カール・チェルニー
1791 – 1857 オーストリア 古典派/ロマン派

カール・チェルニー

「練習曲の王」 — ベートーヴェンとリストを繋いだ教師。

生涯

1791 年、ウィーンで生まれた。父も音楽家で、9 歳の時にベートーヴェンに紹介され、3 年間直接の弟子となる。ベートーヴェンの「皇帝」協奏曲の初演ピアノ奏者でもあった。

20 代から教育に専念し、1 日に 12 時間レッスンするほどの勤勉さで知られた。最も有名な弟子はフランツ・リスト。彼を 10 歳から 16 歳まで無償で教えた。

生涯独身で社交を避け、作曲とレッスンに人生を捧げた。約 1000 曲の作品を残し、その大半が練習曲・教則本。1857 年にウィーンで 66 歳で世を去った。

人となり

チェルニーの人となりを示す 4 つの側面。

系譜
ベートーヴェンの弟子・リストの師
古典派からロマン派へ、最高峰のピアノ教育を媒介した存在。
量産
約 1000 曲
「100 のレッスン Op.139」「30 の新しい練習曲 Op.849」「8 小節の練習曲 Op.821」など、ピアノ教育のあらゆる段階に対応する作品集。
生活
勤勉な孤独
結婚せず、社交も控え、ウィーンの自宅でひたすら作曲と教育に没頭した。
影響
世界中のピアノ教室
彼の教則本は 19 世紀から現在に至るまで、世界中のピアノ学習の標準教材。

音楽スタイル

チェルニーの音楽は、ベートーヴェン、クレメンティ、フンメルから受け継いだウィーンの様式を、教育目的のために整理し尽くしたところに本質がある。ひとつの練習曲でひとつの技術課題だけを扱い、それを執拗に反復させる。技術と音楽を切り離さず、あくまで曲の形で書いた点が、音型だけを取り出したハノンとの決定的な違いである。

ただし「練習曲の作曲家」というのは後世の見方にすぎない。生涯の作品は1000曲を超え、作品番号は861に達する。交響曲7曲、ミサ曲、室内楽、変奏曲、編曲を大量に書いた。演奏家としては1806年にベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を初演し、1812年2月には「皇帝」協奏曲のウィーン初演を弾いている。

代表作品(ピアノで弾ける)

ピアノ史への貢献

チェルニーは、ベートーヴェンから直接学んだ奏法を、文章と練習曲の両方で次の世代に手渡した。作品500『ピアノフォルテ奏法の理論と実際の完全教程』や、1846年の『ベートーヴェンの全ピアノ作品の正しい奏法について』は、作曲者に最も近い場所にいた者による演奏法の証言として、今日も一次資料として参照される。

弟子にはリスト、レシェティツキ、テオドール・クラークがいる。彼らがまた教師となって流派を築いたため、現代のピアノ技術の系譜は、チェルニーを経由してベートーヴェンにつながる。リストは『超絶技巧練習曲』をチェルニーに献呈した。

逸話

1801年、10歳のチェルニーはヴェンツェル・クルンプホルツに連れられてベートーヴェンの前に立った。『悲愴』ソナタと歌曲『アデライーデ』を弾いて認められ、弟子入りする。それから20年あまり後の1823年4月、今度はチェルニー自身が、弟子である少年リストをベートーヴェンに引き合わせた。師から弟子へ、さらにその弟子へと系譜がつながった瞬間である。

学習者にとって

日本で「30番」「40番」「50番」と呼ばれるのは、それぞれ作品849、作品299『速度練習曲』、作品740『手指の技巧の技法』である。入門用の作品599は「100番」と呼ばれる。番号はおおむね難易度順で、どの曲が何を鍛えるのかが1曲ごとに明確なため、弱点に合わせて選んで弾ける。

つまずくのは、たいてい指の速さではなく、粒を揃えることと、テンポを最後まで保つことである。速く弾けるようになった曲ほど雑になりやすく、遅く均等に弾く練習のほうが効く。全曲を順に消化する必要はなく、必要な課題を持つ曲だけを抜き出して使う教師も多い。

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出典・参考

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