生涯
1860 年、ニューヨークで生まれた。15 歳でパリ音楽院に進学、その後フランクフルトでヨアヒム・ラフに師事。リストの推薦でドイツのデビューを果たし、欧州で名声を築いた。
1888 年に帰国、ボストン・ニューヨークを拠点に作曲家・ピアニスト・教師として活動。1896 年コロンビア大学に新設された音楽科の初代教授に就任、アメリカ高等音楽教育の礎を築いた。
晩年は精神疾患に苦しみ、1908 年にニューヨークで 47 歳という若さで世を去った。彼の死後、妻マリアンが設立した「マクダウェル・コロニー」は、芸術家のための創作の場として今も続いている。
人となり
マクダウェルの人となりを示す 4 つの側面。
音楽スタイル
マクダウェルは、ヨーロッパのロマン派とアメリカの自然描写を結んだ作曲家である。パリ音楽院で学んだのち、フランクフルトのホーホ音楽院でヨアヒム・ラフに作曲を師事し、リストにも認められた。その書法はシューマンやリスト、グリーグの延長線上にある。
大作の《ピアノ協奏曲 第2番 ニ短調》作品23(1890年)から風景を描く小品集まで幅広いが、真骨頂は簡潔な性格的小品にある。ニューイングランドの森や海、田園を題材に、平明な旋律と温かな和声で親密な世界を描いた。
代表作品(ピアノで弾ける)
ピアノ史への貢献
マクダウェルは、ヨーロッパで本格教育を受け国際的に認められた最初期のアメリカ人作曲家であり、アメリカ芸術音楽の自立を象徴する存在となった。《森のスケッチ》作品51(1896年)の《野ばらに寄す》は、家庭でも弾ける小品として国境を越えて愛された。
1896年にはコロンビア大学初の音楽教授に就任し、アメリカにおける大学音楽教育の礎を築いた。4曲のピアノ・ソナタは、この国のピアノ作品の重要なレパートリーである。
逸話
名曲《野ばらに寄す》は、危うく捨てられるところだった。マクダウェルは朝食時などに数小節を練習がわりに走り書きし、たいていは反故にしていた。ある朝、丸めて暖炉へ投げたその紙を、的を外れて落ちたところで妻マリアンが拾い上げ、皺を伸ばして見直し、旋律の価値を認めた。夫はそれを《野ばらに寄す》と名づけ、《森のスケッチ》の第1曲に据えた。
学習者にとって
マクダウェルの入口は迷わず《野ばらに寄す》(《森のスケッチ》第1曲)でよい。1ページ足らずで音数も少なく、初中級者が美しい和声を味わえる名品だ。ペダルと歌わせ方の練習にも向く。
そこから《海の小品集》作品55や《ニューイングランドの牧歌》作品62へ進むと、描写的な表現の幅が広がる。4曲のピアノ・ソナタ(《悲劇的》作品45など)は規模も技巧も格段に上がり、上級者向けの挑戦となる。
関連作曲家
出典・参考
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