生涯
1683 年、ディジョンで生まれた。父はオルガニスト。40 代までは地方で活動していたが、1722 年に「和声論」を発表し、近代和声理論の基礎を築いた音楽理論家としても歴史に残る。
50 代でオペラ作曲家としてパリで成功。「イポリットとアリシー」「カストルとポリュクス」「優雅なインドの国々」など、フランス・オペラを刷新した。
クープランと並びフランス・バロック鍵盤書法を代表する。1764 年にパリで 80 歳で世を去った。
人となり
ラモーの人となりを示す 4 つの側面。
音楽スタイル
1683年ディジョン生まれ。理論家として名を成してから作曲家になったという、音楽史でも稀な順序をたどった人物である。1722年の『和声論』で和音を音楽の背骨と位置づけ、実際には鳴っていなくても進行を支配する「基礎低音」の概念を導入した。最初のオペラ《イポリートとアリシー》を出したのは1733年、50歳目前のことだ。
鍵盤曲では、その理論が音として現れる。〈鳥のさえずり〉〈めんどり〉のような描写、〈キュクロプス〉のように手の交差を多用する技巧、〈エンハルモニック〉のように異名同音転換で調性の際を試す実験が、同じ曲集に並ぶ。
クープランの繊細な装飾に対し、ラモーは打鍵と分散和音の運動性で書く。鍵盤を歌わせるより、鳴らして駆動させる音楽である。
代表作品(ピアノで弾ける)
ピアノ史への貢献
1724年の第2曲集には「クラヴサンにおける指のメカニスムについて」という方法論が付されている。ここでラモーは、各指が他から独立した固有の運動を持つべきこと、肘を鍵盤の高さより上に保ち、手首の関節の自然な運動だけで手が鍵盤に落ちるように座ることを説いた。
これはサン=ランベール『クラヴサン奏法の原理』(1702)、クープラン『クラヴサン奏法』(1716-17)と並ぶ鍵盤教則の古典である。脱力と手首の使い方を言語化した点で、記述はそのまま現代のピアノ教育に接続している。
逸話
臨終の床で司祭が歌ったところ、ラモーは「司祭よ、いったい何を歌っているのだ。音程が外れているぞ」と咎めた——と伝えられる。同時代には「心も魂もクラヴサンの中にあり、その蓋を閉めてしまえば、もう誰もいない」とも評された。生涯を音の理屈に捧げた人物への評として、これ以上のものはない。
学習者にとって
まず〈タンブラン〉のような短い性格小品から入るとよい。難所は〈キュクロプス〉や〈三つの手〉に代表される手の交差である。これらはチェンバロの2段鍵盤を前提に書かれているため、1段のピアノで弾くと両手が物理的に競合する。どちらの手がどの音を取るかを自分で設計し直す必要がある——これはミスではなく、楽器の違いから必然的に生じる課題だ。
もう一つの鍵はイネガル(不均等奏法)と装飾の扱い。ラモーの記譜は骨格に見えて、当時の慣習を前提にしている。1724年の序文が説く「手首の自然な落下」を、そのまま打鍵の設計図として読むのが近道である。
関連作曲家
出典・参考
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