Composers

作曲家

Composer Profile

ロベルト・シューマン(1839年、ヨーゼフ・クリーフーバー作)
1810 – 1856 ドイツ ロマン派

ロベルト・シューマン

文学と音楽の境界を消した、内省の人。

生涯

1810年、ドイツ・ザクセン地方ツヴィッカウで、書店主・出版業者の息子として生まれた。文学に深く親しむ環境で育ち、ピアニストと作家のどちらを職業にするか長く迷った。

ライプツィヒでヴィーク(後の妻クララの父)にピアノを学ぶが、機械的な指の訓練装置で右手を故障させ、ピアニストの道を断念。作曲と音楽評論に専念した。1834年、自ら「新音楽時報」を創刊し、優れた音楽批評家としても活躍した。

師ヴィークの娘 クララ との恋愛は父親の猛反対に遭い、裁判を経て1840年に結婚。クララは当代屈指のピアニストで、二人は音楽史上もっとも有名な音楽家夫婦となった。

晩年は精神疾患に苦しみ、1854年にライン川に投身自殺を図る。救助されたが、自ら精神病院への入院を希望し、2年後の1856年、46歳でそこで息を引き取った。クララはその後40年生きて、シューマンの遺産を世に伝えた。

人となり

シューマンは 「文学者であり音楽家である」 という二重性を生涯抱えた。自分の中に「フロレスタン(情熱的)」と「オイゼビウス(瞑想的)」という二人の人格を見ていた。後年は精神疾患に苦しみ、内なる声に悩まされた。

気質
内省的・二重人格的
「フロレスタン」(情熱)と「オイゼビウス」(瞑想)の二つの人格を意識的に使い分けて作品に表現した。
文学愛
作曲家であり評論家
「新音楽時報」を創刊し、批評を執筆。詩・小説も書いた。「音楽は別の言語の詩」という発想。
クララへの愛
生涯の愛
9歳年下の弟子クララへの愛。父親の反対を裁判で乗り越えて結婚。8人の子をもうけた。
飲酒
深酒の習慣
ライプツィヒ時代から大酒飲み。夜の酒場「カフェ・バウム」で評論仲間と語り合った。
精神疾患
幻聴・抑うつ
晩年は天使の声・悪魔の声が交互に聞こえると訴えた。今でいう双極性障害・統合失調症の可能性。
才能発掘
ブラームスを世に出した
無名の20歳のブラームスを「天才」と看破。最後の批評記事「新しい道」で世界に紹介した。
光を生み出すには、暗闇を経なければならない。 シューマン

一日のルーティン

シューマンは 季節と気分で大きく変動する 生活パターンを持っていた。創作のピーク期(1840年「歌の年」など)は集中して書くが、抑うつ期は何ヶ月も全く書けないこともあった。

7:00–8:00 起床。クララと朝食を共にする時期は会話を大切にした。
8:00–13:00 作曲・批評執筆。集中期はこの時間に1日の主要作業を詰め込んだ。
13:00–14:00 昼食。クララとの会話、子供たちと過ごす。
14:00–17:00 読書、譜読み、クララの演奏を聴く。または散歩。
17:00–20:00 夕食、家族との時間。子供たちのために小品を書くこともあった。
20:00–24:00 「カフェ・バウム」で評論仲間と議論。または夜の作曲。

音楽スタイル

ショパンと同じ年生まれだが、対照的な作曲家。ショパンが「ピアニストとしての作曲家」なら、シューマンは 「作家としての作曲家」 である。文学・哲学・音楽評論の世界を歩み、自身の音楽にも詩的な物語性を込めた。

「クライスレリアーナ」「謝肉祭」「子供の情景」「幻想小曲集」など、組曲形式の名品が多い。短い曲を組み合わせて、全体で大きな心象風景を描く。和声は革新的で、しばしば曖昧な響きを使い、後のドビュッシーへとつながる。

全作品リスト(主要)

ピアノ独奏(重要作)

  • Op.9謝肉祭(21曲、A-S-C-H暗号)
  • Op.12幻想小曲集(8曲、「飛翔」を含む)
  • Op.13交響的練習曲(主題と12変奏)
  • Op.15子供の情景(13曲、「トロイメライ」を含む)
  • Op.16クライスレリアーナ(8曲)
  • Op.17幻想曲 ハ長調(クララへ)
  • Op.21ノヴェレッテン(8曲)
  • Op.22ピアノソナタ第2番
  • Op.26ウィーンの謝肉祭の道化
  • Op.68ユーゲントアルバム(43曲、子供向け)
  • Op.82森の情景

ピアノ協奏曲・室内楽

  • Op.54ピアノ協奏曲 イ短調
  • Op.44ピアノ五重奏曲
  • Op.47ピアノ四重奏曲
  • Op.63ピアノ三重奏曲第1番

歌曲(「歌の年」1840年)

  • Op.24リーダークライス(ハイネ詩)
  • Op.25ミルテの花(クララへの結婚記念)
  • Op.39リーダークライス(アイヒェンドルフ詩)
  • Op.42女の愛と生涯
  • Op.48詩人の恋(ハイネ詩、最高傑作)

交響曲(全4曲)

  • Op.38交響曲第1番「春」
  • Op.61交響曲第2番
  • Op.97交響曲第3番「ライン」
  • Op.120交響曲第4番

声楽・宗教音楽

  • Op.50楽園とペリ(オラトリオ)
  • Op.110ピアノ三重奏曲第3番
  • Op.115マンフレッド序曲

代表作品(ピアノ)

ピアノ史への貢献

シューマンの最大の貢献は、ピアノ音楽に 「文学性」と「内面の物語」 を持ち込んだことだ。それまでの音楽が形式や情感の表現だったのに対し、シューマンは 音楽そのものを「詩」として書いた

音楽評論家としての功績も大きい。彼の雑誌「新音楽時報」は、当時無名だったショパン、ベルリオーズ、ブラームスを世に紹介した。「諸君、脱帽せよ。天才だ」とショパンを評した一文は有名。

聖地巡礼

シューマンゆかりの地は、生地ツヴィッカウ・活動地ライプツィヒ・最晩年デュッセルドルフ・墓地ボンの4都市。すべてドイツにあり、列車で巡れる。クララと共に過ごした家屋が複数残っている。

生家
ロベルト・シューマンハウス(生家博物館)
Hauptmarkt 5, 08056 Zwickau, Germany
シューマンが1810年に生まれた家。生家博物館として、自筆譜・遺品・書斎の再現展示。彼の文学的素養を感じられる充実した蔵書も展示。
ツヴィッカウ中央駅から徒歩10分。火〜日曜開館。
職業時代の家
シューマンハウス・ライプツィヒ
Inselstraße 18, 04103 Leipzig
クララと結婚後の最初の4年間(1840-44)を過ごした家。「歌の年」の名作の多くがここで生まれた。「春の交響曲」もここで作曲。
ライプツィヒ中央駅から徒歩15分。
最晩年の家
シューマンの家・デュッセルドルフ
Bilker Straße 15, 40213 Düsseldorf
1850-54年、デュッセルドルフ市音楽監督として住んだ家。ここでブラームスが訪ねてきた。シューマンの最後の社会的活動の場。
デュッセルドルフ中央駅から徒歩20分。
墓地
アルター・フリートホフ(旧墓地)ボン
Bornheimer Straße 89, 53111 Bonn
シューマンとクララが共に眠る墓地。シューマンが亡くなった精神病院(エンデニッヒ)に近いボンに葬られた。クララも遺言通りここに眠る。
ボン中央駅から徒歩20分。シューマン夫妻の墓は中央エリア。
最期の地
エンデニッヒ精神病院跡(現シューマン館)
Sebastianstraße 182, 53115 Bonn
1854-56年、シューマンが最期の2年を過ごした精神病院。建物は現存し、博物館「Schumannhaus Bonn」として公開。彼の最期の楽譜・手紙を展示。
ボン中央駅からバスで20分。
音楽祭
ツヴィッカウ・シューマン音楽祭
毎年6月、ツヴィッカウ市内
シューマンの誕生日(6月8日)を中心に開催されるドイツ最大のシューマン音楽祭。世界中の演奏家が集まる。
ライプツィヒから列車で約1時間半。
シューマン3日コース:1日目ライプツィヒ(バッハ博物館とセットで観光、夜にゲヴァントハウスでコンサート)→ 2日目ツヴィッカウ(生家博物館・音楽祭)→ 3日目ボン(アルター・フリートホフ・エンデニッヒ)。デュッセルドルフ・ボンへは4日目以降。

逸話

20歳のクララと結婚するまで、彼女の父ヴィークから猛烈な反対を受けた。クララの父は「シューマンとの結婚は許さない」とし、シューマンとクララは何年もの裁判を経て、ようやく結婚を許可された。

シューマンの「謝肉祭」には、4つの音 A-S-C-H(彼が交際していたエルネスティーネの故郷)と S-C-H-A(自分の名前)を音名暗号として使った。和声の中にこっそり名前を埋め込む、文学者らしい遊びだった。

晩年、ブラームス(当時20歳)が訪ねてきた時、シューマンは「彼こそ天才だ」と直感し、最後の評論記事「新しい道」でブラームスを世に紹介した。これがブラームスの音楽家としてのスタートを切った。

影響関係

影響を受けた

  • J.S.バッハ(対位法)
  • ベートーヴェン(ソナタ形式)
  • シューベルト(歌曲性)
  • ジャン・パウル(小説家)

影響を与えた

  • クララ・シューマン
  • ブラームス(直接の発掘)
  • ドビュッシー(和声の曖昧さ)
  • 後のロマン派全体

学習者にとって

「子供の情景」のトロイメライは初級〜中級でも取り組める名曲。「ユーゲントアルバム」の小品も、子供のレッスンによく使われる。中級以降は「幻想小曲集」「謝肉祭」、上級は「交響的練習曲」「クライスレリアーナ」「幻想曲」へと進む。

シューマンは 「内面に語りかけるピアノ」 を学ぶための重要な作曲家。技巧の見せ場よりも、心の機微を音にすることが求められる。多くの組曲は「全体で一つの物語」のように書かれており、複数の小品を通して読み解く必要がある。