生涯
ウィーンのヨハン・シュトラウス2世は、優雅なウィンナ・ワルツを芸術の域へ高め、「ワルツ王」と讃えられた。「美しく青きドナウ」はオーストリアの第二の国歌とも呼ばれ、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの定番である。
「皇帝円舞曲」「南国のばら」など数百のワルツやポルカを作曲し、オペレッタ「こうもり」も遺した。華やかな三拍子の旋律は、ピアノ編曲でも世界中のサロンを彩ってきた。
人となり
ヨハン・シュトラウス2世の人となりを示す 4 つの側面。
音楽スタイル
1825年ウィーン生まれ。父ヨハン1世は息子を音楽家ではなく銀行家にするつもりで、少年はフランツ・アモンについてヴァイオリンを隠れて習った。発覚したとき父は「音楽を叩き出してやる」と言って激しく鞭打ったと伝えられる。
作風の要はワルツの構造にある。序奏で霧の中から主題を立ち上げ、性格の異なる複数のワルツを連ね、最後にそれらを回収するコーダで閉じる——踊りの伴奏を超えた設計だ。《美しく青きドナウ》作品314は1867年2月15日、男声合唱つきの歌として初演されたが「ささやかな成功」にとどまり、シュトラウス自身「ワルツなど悪魔にくれてやる。惜しいのはコーダだけだ」と嘆いたという。同年のパリ万博で管弦楽版として出し直し、ようやく大成功した。
ワルツ、ポルカ、カドリーユ、行進曲など500曲以上に加え、1874年の《こうもり》をはじめオペレッタも残した。
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ピアノ史への貢献
ピアノ独奏曲は、この作曲家の中心ではない。彼は舞踏場で楽団を率いるヴァイオリニストであり、音楽は生のオーケストラのためのものだった。
それでも彼のワルツはピアノ史に太い足跡を残している。19世紀の名ピアニストたちが競って編曲したからだ。カール・タウジヒ、モリツ・ローゼンタール、アルフレート・グリュンフェルト、レオポルト・ゴドフスキーらが演奏会用編曲を残した。とりわけタウジヒの弟子アドルフ・シュルツ=エヴラーの《「美しく青きドナウ」の主題による演奏会用アラベスク》は、今もヴィルトゥオーゾの定番である。
逸話
ブラームスはシュトラウスを深く敬愛していた。シュトラウス家で扇にサインを求められたとき、ブラームスは《美しく青きドナウ》の冒頭数小節を書き、その下にこう添えた——「残念ながら、ヨハネス・ブラームスの作にあらず」。
学習者にとって
難易度の幅が極端に広い。素朴な編曲なら初級で弾けるが、シュルツ=エヴラーの《演奏会用アラベスク》は最難関の部類に入る。まず自分の版が誰の編曲かを確認することから始めたい。
どの版で弾くにせよ、鍵はウィンナ・ワルツの2拍目にある。楽譜は3拍が等分に書かれているが、演奏の慣習では2拍目がわずかに早く入り、3拍目が遅れて届く。この揺れを3等分で正確に刻むと、音符は合っているのに踊れない演奏になる。メトロノームでは決して身につかない性質のものなので、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの録音を耳に入れてから譜面に戻るのが現実的だ。
関連作曲家
出典・参考
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