生涯
ドイツ・ケルンに生まれ、パリで活躍したジャック・オッフェンバックは、風刺と笑いに満ちた「オペレッタ」というジャンルを確立し、「オペレッタの王」と呼ばれた。「天国と地獄」の“地獄のギャロップ”(フレンチ・カンカン)は、誰もが一度は耳にする陽気な旋律だ。
晩年の遺作「ホフマン物語」の“ホフマンの舟歌”は、優美なピアノ編曲でも親しまれる。享楽的な第二帝政期パリの空気をそのまま音楽にした、エンターテインメントの巨匠である。
人となり
オッフェンバックの人となりを示す 4 つの側面。
音楽スタイル
1819年ケルン生まれ。9歳でチェロを始め、14歳でパリ音楽院に入るが1年で去った——1834年12月2日、自主退学として除籍されている。以後は劇場のオーケストラのチェロ奏者として働いた。実演の現場から作曲家になった人間である。
作風はテンポと言葉の切れ味で決まる。1858年10月に初演された最初の全曲物《地獄のオルフェ》は、グルック以来の神話オペラを丸ごと茶化した風刺劇で、終幕の〈地獄のギャロップ〉が、1830年代から場末で踊られてきたカンカンを一気に流行の座へ押し上げた。
一方で叙情の書き手でもある。自身の数え方で100を超える舞台作品を残したが、最後の《ホフマン物語》は1880年の死の時点で未完だった。エルネスト・ギローと18歳の息子オーギュストが補筆し、1881年2月10日にオペラ=コミック座で初演された。
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ピアノ史への貢献
ピアノ独奏のための作品は、ほとんど残していない。彼の楽器はチェロであり、書いたのは舞台とオーケストラのための音楽だった。それでもオッフェンバックは、19世紀の家庭のピアノで最も多く鳴った作曲家の一人である。
理由は流通にある。当時のオペレッタは、声とピアノ、ピアノ独奏、ピアノ連弾、独奏楽器と伴奏など多様な編曲で出版され、劇場に来ない人々の家へ届いた。ピアノ譜が事実上の複製メディアだった時代の主力商品が、彼の音楽だったのだ。〈舟歌〉には、モシュコフスキーによる技巧的なピアノ編曲もある。
逸話
オッフェンバックがロッシーニの喜劇の再演許可を求めたとき、ロッシーニは「シャンゼリゼのモーツァルト」のためなら喜んで何でもしよう、と応じたと伝えられる。もう一つ。晩年の彼は愛犬クラインザックに向かって「初演に立ち会えるなら、持っているものを全部差し出すのだが」と漏らしていたという。《ホフマン物語》の初演は、彼の死の約4か月後だった。
学習者にとって
弾く機会が最も多いのは〈ホフマンの舟歌〉(美しい夜、おお、恋の夜)だろう。6/8の揺れを、左手の伴奏音型を機械的に刻まずに保てるかが全てで、2声を対等に歌わせる練習として優秀だ。
知っておくと解釈が変わる事実がある。この舟歌は《ホフマン物語》のために書かれた曲ではない。原曲は1864年の《ラインの妖精》で、第3幕の精霊たちの合唱として書かれ、後に転用された。もともと複数の声が漂い合う音楽であって、独唱に伴奏が付いた形ではない——そう捉えると、内声の扱いが変わる。
関連作曲家
出典・参考
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