生涯
1930 年、東京で生まれた。少年時代を中国・大連で過ごし、敗戦後に独学で作曲を学ぶ。正規の音楽教育を受けていない異色のキャリア。
20 代から国際的に注目され、1967 年に小澤征爾の依頼で「ノヴェンバー・ステップス」を作曲。尺八と琵琶という日本の伝統楽器と西洋オーケストラを融合させ、世界中で評価された。
映画音楽の分野でも黒澤明「乱」「夢」、勅使河原宏「砂の女」、小林正樹「怪談」など、日本映画の音楽史を作った。1996 年に東京で 65 歳で世を去った。
人となり
武満徹の人となりを示す 4 つの側面。
音楽スタイル
武満徹はほぼ独学で作曲を身につけ、西洋前衛と日本的な間(ま)や余韻を独自に統合した。1948年に清瀬保二へ短期間師事したほかは、体系的な音楽教育を受けていない。
ピアノ曲では、音そのものの色と、音が消えゆく静寂を重んじた。「雨の樹 素描」(1982年)は、雨が止んでも葉から雫を落とし続ける樹を描き、3種に書き分けたアクセントと精緻なペダル指定で音の消滅ぎりぎりの繊細な響きを作る。ドビュッシーやメシアンの色彩感が下敷きにある。
代表作品(ピアノで弾ける)
ピアノ史への貢献
武満は「ノヴェンバー・ステップス」(1967年、ニューヨーク・フィル委嘱)で琵琶と尺八を管弦楽に対峙させ、日本の作曲家として世界的評価を得た。ピアノ作品もその美学の実験場だった。
「遮られない休息」「ピアノ・ディスタンス」「閉じた眼」「雨の樹 素描」と続く一連は、西洋のピアノを用いながら沈黙と余韻を作曲の対象にした点で独創的である。戦後日本の現代ピアノ音楽を国際的な水準へ引き上げた。
逸話
武満が西洋音楽に目覚めたのは、1944年、少年兵として過ごした軍務中だった。仲間と隠れて、竹を削った手製の針で蓄音機にかけたシャンソン「聞かせてよ愛の言葉を」(Parlez-moi d'amour)に衝撃を受けたという。戦争のさなかに聴いた一枚のレコードが、独学の作曲家の原点になった。
学習者にとって
入口は「雨の樹 素描」(1982年、約5分)が最適だ。速いパッセージはなく、両手の16分音符が雫のように連なる。難しさは指の技術ではなく、3種類のアクセントの弾き分けと、細かく指定されたペダリング、そして「消え入るように」と記された最弱音の制御にある。
音を出すより、音の消え方を聴く集中力が要る。「閉じた眼」はさらに内省的で難度が高いため、まず素描で武満の時間感覚に慣れるとよい。
関連作曲家
出典・参考
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