生涯
1860 年、カタルーニャ州カンプロドンに生まれた。4 歳でピアノを始め、9 歳でデビュー公演を行う神童だった。10 代でアメリカ・キューバまで放浪演奏旅行を行った逸話も。
リスト、デュカス、デュパルクらに学び、後期はパリで活動。スペインの民族色をピアノに取り込み、「スペインの組曲」「イベリア」など、スペイン音楽の頂点を築いた。
腎臓病のため 1909 年、48 歳という若さでフランスのカンボ=レ=バンで世を去った。
人となり
アルベニスの人となりを示す 4 つの側面。
音楽スタイル
イサーク・アルベニス(1860-1909)の音楽は、アンダルシアのフラメンコやカスティーリャの民俗リズムを、ピアノという鍵盤楽器の上でギターの爪弾きや掻き鳴らしに翻訳した点に本質がある。1883年に出会った作曲家フェリペ・ペドレルの薫陶を受け、スペイン国民楽派の道へ進んだ。
晩年の大作『イベリア』(1905-1908、全4巻12曲)では、この語法が極限まで濃縮される。無数の臨時記号、両手の交差、複雑な内声で、フランス印象派の和声とスペインの土着リズムを融合させた。パリで交流したドビュッシーやラヴェルにも影響を与えたとされる。
代表作品(ピアノで弾ける)
ピアノ史への貢献
アルベニスは、それまでサロン小品に留まっていたスペインのピアノ音楽を、ヨーロッパの演奏会レパートリーへ押し上げた。『スペイン組曲』作品47や『イベリア』を通じ、ギター的な響きをピアノで再現する書法を確立し、後のグラナドス、ファリャ、そしてフランス印象派へ橋を架けた。『イベリア』は今日、スペイン鍵盤音楽の頂点かつ最難関の一つと見なされている。
逸話
アルベニスの少年時代を彩る「12歳で家出し、船に密航して南米を放浪した」という物語は有名だが、本人が残した回想は矛盾が多く、脚色が混じっているとされる。研究者ウォルター・アーロン・クラークは、彼が確かに各地で演奏したものの、税関吏として頻繁に出張する父に同行していたと指摘している。
学習者にとって
入口には『スペイン組曲』が向く。とりわけ第5曲「アストゥリアス(伝説曲)」は、反復する低音の上を旋律が駆ける構成で親しみやすい。ただしこの曲は本来『スペインの歌』の「前奏曲」で、アンダルシア風であってアストゥリアス地方とは無関係だと知っておくとよい。
『イベリア』は別次元の難易度で、特に「ラバピエス」は作曲者自身が演奏可能性を疑い楽譜を破棄しかけたほど。安易に手を出さず、まず組曲の平易な曲から入るのが賢明だ。
関連作曲家
出典・参考
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