生涯
1397 年頃、フランドル地方(現在のベルギー南部からフランス北部)の町ベールセレ近くに生まれた。少年聖歌隊員としてカンブレー大聖堂で音楽の教育を受け、その才能を早くから認められて、当時ヨーロッパ音楽の中心地であったイタリアへと渡った。
ローマ教皇庁のシスティーナ礼拝堂聖歌隊に加わり、さらにサヴォイア公やマラテスタ家など、イタリア諸侯の宮廷に仕えた。1436 年、フィレンツェ大聖堂(ブルネレスキ設計の大円蓋)の献堂式のために書いたモテット「バラの花が最近」は、聖堂の数比を音楽の構造そのものに写し取ったと語り継がれる、彼の名を不朽にした傑作である。晩年は故郷カンブレーに戻り、大聖堂の要職を務めながら円熟のミサ曲を残し、1474 年に世を去った。
彼は、中世の書法とルネサンスの新しい響きの橋渡しをした人物である。イギリス由来の甘美な三度・六度の協和音を大陸にもたらし、澄んだ和声感覚をヨーロッパ音楽の標準へと変えた。彼を中心とする一群の作曲家は「ブルゴーニュ楽派」と呼ばれ、その様式はやがてオケゲム、そしてジョスカンへと受け継がれていく。
人となり
デュファイの人となりを示す 4 つの側面。
響き
「甘い」協和音
イギリス由来の三度・六度の協和音を大陸へ持ち込み、中世の硬い響きを澄みきったものへと一新した。
建築
音で大聖堂を写す
フィレンツェ大聖堂の献堂モテットは、聖堂の数比を音の構造に反映したと伝わる、音楽と建築の融合。
定旋律
ミサの統一
一つの旋律を全曲の土台に据える「循環ミサ」を確立し、ミサ曲を一貫した大作品へと高めた。
名声
ヨーロッパ第一人者
存命中から「時代最高の作曲家」と讃えられ、その様式は大陸じゅうの規範となった。
代表作品(無料楽譜へ)
モテット「バラの花が最近(ヌペル・ロサルム・フローレス)」
フィレンツェ大聖堂の献堂式のために書かれた、記念碑的なモテット。
ミサ曲「もし顔が青いなら(セ・ラ・ファ・チェ・パル)」
自作の世俗歌を定旋律に用いた、循環ミサの代表作。
シャンソン「さらば、ランの美酒よ」
ワインの産地に別れを告げる、洒脱で親しみやすい世俗歌曲。
賛歌「めでたし海の星(アヴェ・マリス・ステラ)」
聖歌を優美に装飾した、澄んだ祈りのマリア賛歌。
ミサ曲「武装した人(ロム・アルメ)」
流行の世俗歌を主題にした、技巧を尽くしたミサ。