生涯
1450 年頃、現在のベルギー南部からフランス北部にかけての地方(フランドル)に生まれた。当時、ヨーロッパ音楽の最先端はこの地方の音楽家たちが担っており、彼らは腕を頼りにイタリアの宮廷や教会へと渡っていった。
ジョスカンもまた、ミラノのスフォルツァ家、ローマ教皇庁のシスティーナ礼拝堂聖歌隊、フェラーラのエステ家などに仕えた。システィーナ礼拝堂の壁には、彼が刻んだとされるサインの落書きが今も残る。晩年は故郷に近いコンデ=シュル=レスコーの教会で参事会長を務め、1521 年に世を去った。
彼は、活版印刷という新技術によって名声がヨーロッパ中に広まった最初の作曲家でもある。楽譜出版の父ペトルッチは、真っ先にジョスカンのミサ曲集を印刷した。宗教改革者マルティン・ルターは「彼は音符の主人であり、音符は彼の意のままに従う。他の作曲家は音符に従うしかない」と絶賛したと伝わる。
人となり
ジョスカンの人となりを示す 4 つの側面。
名声
印刷が広めた最初のスター
ペトルッチが最初に楽譜集を出版した作曲家。名前だけで楽譜が売れ、他人の作品まで「ジョスカン作」と偽られたほどの人気だった。
表現
言葉を音で描く
歌詞の意味やドラマを音楽で描き出す「言葉の絵画」を大胆に用い、多声音楽に人間の感情表現の扉を開いた。
対位法
模倣様式の完成
複数の声部が同じ旋律を追いかけ合う「通模倣様式」を洗練させ、多声音楽を建築のような均整へと導いた。
影響
ルターの称賛
「音符の主人」と讃えられ、のちのパレストリーナ、そして J.S. バッハへと続く対位法の礎を築いた。
代表作品(無料楽譜へ)
ミサ曲「パンジェ・リングァ」
聖歌を素材にした、最も有名なミサ曲。通模倣様式の到達点。
モテット「アヴェ・マリア」
澄みきった祈りの声が重なるルネサンス・モテットの傑作。
ミサ曲「ロム・アルメ(武装した人)」
流行の世俗歌を定旋律に用いた、技巧の粋を集めたミサ。
「森のニンフたち」
師オケゲムの死を悼む、深い哀しみの追悼歌。
「こおろぎ(エル・グリロ)」
こおろぎの鳴き声を模したユーモラスな世俗歌。親しみやすい一曲。