生涯
1845 年、フランス南部パミエに生まれた。9 歳でパリのニーデルメイエール宗教音楽学校に入学、サン=サーンスに師事して大きな影響を受ける。
長年マドレーヌ教会のオルガニスト、後にパリ音楽院の作曲科教授・院長を務めた。ラヴェル、ナディア・ブーランジェなど次世代の重要人物を育てた。
ピアノ作品では夜想曲・舟歌・前奏曲集を残した。「レクイエム」「シシリエンヌ」は世界中で愛される。晩年は耳の病に苦しんだが、最後まで作曲を続け、1924 年にパリで 79 歳で世を去った。
人となり
フォーレの人となりを示す 4 つの側面。
音楽スタイル
フォーレの音楽は、派手な技巧を避け、フランス的な明晰さと抑制を貫いた点に本質がある。パリのニデルメイエール音楽学校で古い教会旋法とルネサンス・ポリフォニーを学んだ経験が、長調・短調に収まらない旋法的な和声感覚を育てた。
ピアノ書法では、旋律を両手の間に織り込み、分散和音の中で歌わせるオルガン奏者的な手法を多用する。晩年の作品はさらに半音階的で、解決しない七の和音や九の和音、次々と転調する異名同音進行によって、複数の調が同時に響くような独特の色彩を生んだ。ドビュッシーの印象主義を先取りする響きである。
代表作品(ピアノで弾ける)
ピアノ史への貢献
13曲の夜想曲、13曲の舟歌、6曲の即興曲を軸に、フォーレはショパン以来のサロン的ジャンルをフランス独自の内省的な芸術へと磨き上げた。技巧の誇示ではなく和声そのものを表現の主役に据えた点で、ラヴェルやドビュッシーへ橋を架けた存在である。
1905年にパリ音楽院院長へ就任し、ラヴェル、エネスク、ナディア・ブーランジェ、ケクランら次世代を育てたことも、20世紀フランス音楽への大きな貢献だ。
逸話
フォーレは1903年頃から難聴に悩まされた。単に音が小さくなるだけでなく音程が歪んで聞こえ、低音は三度低く、高音は三度高く鳴ったという。それでも1905年から1920年まで音楽院院長を務め、その障害を周囲にほとんど気づかせなかった。晩年の弦楽四重奏曲(1924年)などは、ほとんど聞こえない耳で書かれている。
学習者にとって
フォーレのピアノ曲は見た目より難しい。音符は多くないが、右手と左手が旋律と分散和音を絶えず受け渡すため、指の受け渡しと声部の聴き分けに神経を使う。加えて異名同音転調が多く、譜読みの段階で調性感を失いやすい。
入口には初期の《無言歌》作品17や《舟歌 第1番 イ短調》作品26が向く。最高峰は《夜想曲 第6番 変ニ長調》作品63(1894年)で、複雑な和声とリズムの綾を弾きこなせれば一つの到達点となる。
関連作曲家
出典・参考
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