生涯
1867 年、スペイン・カタルーニャ州レリダに生まれた。15 歳でバルセロナ音楽院に入学、ピアノを修めた。
画家ゴヤの絵画から霊感を得たピアノ組曲「ゴイェスカス」が代表作。後にオペラ化され、1916 年にメトロポリタン歌劇場で世界初演された。
その帰路、ドイツの U ボートに雷撃された英仏海峡の客船サセックス号で、妻と共に命を落とした。49 歳。スペイン音楽史最大の悲劇の一つ。
人となり
グラナドスの人となりを示す 4 つの側面。
音楽スタイル
エンリケ・グラナドス(1867-1916)は、ショパン譲りの詩情とスペインの民俗色を溶け合わせた、優美で抒情的なピアノ書法を持つ。バルセロナでジュアン・バウティスタ・プジョル、次いでフェリペ・ペドレルに学んだ。
代表作『ゴイェスカス』(ピアノ版1911、全6曲)は、画家フランシスコ・デ・ゴヤの絵画と18世紀マドリードの風俗「マホ・マハ」の世界に着想を得ている。装飾的で分厚い和音、即興的に揺れる旋律が特徴で、アルベニスの硬質な語法に比べ、より歌謡的で内省的だ。
代表作品(ピアノで弾ける)
ピアノ史への貢献
グラナドスは、スペイン民俗舞踊をピアノの詩へ昇華させた。『スペイン舞曲集』(1890、全12曲)は世界的レパートリーとなり、『ゴイェスカス』は絵画・時代風俗を音で描く独自の到達点を示した。バルセロナに開いたアカデミア・グラナドスは、フランク・マーシャル、さらにその門下のアリシア・デ・ラローチャへと連なる、スペインを代表するピアノ教育の系譜を生んだ。
逸話
1916年、オペラ版『ゴイェスカス』のニューヨーク初演後、グラナドスはウィルソン大統領のためのホワイトハウス演奏を打診され、予定していた帰国船を見送った。この変更が悲劇を招く。代わりに乗った客船サセックス号がドイツ潜水艦に雷撃されて大破し、グラナドスは妻アンパロと共に命を落とした。栄誉の招待が運命を分けた。
学習者にとって
まずは『スペイン舞曲集』の第5番「アンダルーサ」や第2番「オリエンタル」が入りやすく、旋律美を味わえる。
『ゴイェスカス』は一気に高度になる。「嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす」は繊細な装飾音の制御が要で、「愛と死」など後半曲は分厚い和音と多声の弾き分けが難しい。まず舞曲集で歌わせる技術を養ってから挑むのが順序として堅実だ。
関連作曲家
出典・参考
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