Composers

作曲家

Composer Profile

イグナツィ・パデレフスキ
1860 – 1941 ポーランド ロマン派/近代

イグナツィ・パデレフスキ

ポーランドの英雄 — 史上最高のピアニストであり、独立後初の首相。

生涯

1860 年、ロシア領ポーランド(現ウクライナ西部)に生まれた。ワルシャワ音楽院を首席で卒業後、ヨーロッパ・アメリカで「現代のリスト」として圧倒的人気を博した。

第一次大戦中、ポーランド独立運動の象徴となる。ウィルソン米大統領を動かしてポーランド独立条項をヴェルサイユ条約に盛り込ませた。1919 年、独立後の初代首相兼外相に就任。

政界を退いた後はピアニスト活動に復帰。1941 年、第二次大戦中のニューヨークで 80 歳で世を去った。遺体はアーリントン国立墓地に、心臓のみワルシャワに眠る。

人となり

パデレフスキの人となりを示す 4 つの側面。

英雄
ポーランド独立の象徴
第一次大戦後の独立交渉で外交を主導。1919 年初代首相・外相。「ピアニスト首相」と呼ばれた唯一の人物。
演奏
20 世紀最大のスター
アメリカ・ツアーで観衆 1 万 5 千人を集めた伝説。「現代のリスト」と称された。
外見
ロマン派の象徴的容姿
ライオンのたてがみのような赤い髪と、貴族的な品格。19 世紀末の女性たちの偶像。
遺産
ショパン研究の父
「パデレフスキ版ショパン全集」を編集監修。今もショパン演奏の重要な参照版。

一日のルーティン

パデレフスキの一日は 「演奏家として」「政治家として」 時期によって全く異なる。共通するのは異常な勤勉さ。

6:00–7:00 起床、朝食。一日の予定確認。
7:00–13:00 ピアノ練習 6 時間。来日時のスケジュール表が現存。「私が一日練習を休めば自分が分かる。二日休めば批評家が分かる。三日休めば聴衆が分かる」が口癖。
13:00–15:00 昼食、休憩。
15:00–18:00 作曲、または政治活動(首相時代)、または書簡・打ち合わせ。
19:00–22:30 本番演奏(ツアー中)。アンコールが 10 曲を超えることも頻繁。
22:30–01:00 夜食、社交。要人・支援者との会談。

音楽スタイル

パデレフスキの様式は 「19 世紀の最後の偉大なロマン主義者」。ショパンとリストの伝統を直接継承し、20 世紀のモダニズムとは距離を置いた。

ショパンの正統な後継者 として、メロディの「歌わせ方」とルバートの「呼吸」を重視した。「テンポを意図的に揺らすことで時間そのものを表現する」というスタイルは、現代の歴史的演奏研究の重要な参照点。

作曲家としても多作で、ピアノソナタ・協奏曲・歌劇「マンル」・交響曲などを残した。「ポーランド幻想曲」はピアノと管弦楽のための愛国的傑作。

全作品リスト(主要)

ピアノ独奏

  • Op.5 古風な様式の歌(5曲)
  • Op.14 ユモレスク(6曲、含むメヌエット)
  • Op.16 雑曲集(含むノクターン・ヴァリエ)
  • Op.21 ピアノ・ソナタ 変ホ短調

協奏曲・大規模

  • Op.17 ピアノ協奏曲 イ短調
  • Op.19 ポーランド幻想曲(ピアノと管弦楽)

オペラ・声楽

  • Op.20 オペラ「マンル」
  • 12 のポーランド民謡(独唱とピアノ)

代表作品(ピアノで弾ける)

ピアノ史への貢献

「ピアニストの社会的地位を最高位に押し上げた」 歴史的存在。彼以前、ピアニストは「芸人」の地位だったが、パデレフスキは 「国家の声」 となり、最終的に首相にまで上り詰めた。これにより 20 世紀のクラシック音楽家は「文化人」「知識人」として尊敬される地位を得た。また、現代のショパン演奏の規範を作った「パデレフスキ版」を編集。

聖地巡礼

パデレフスキは政治家でもあり、ゆかりの地は世界中に。ポーランド・スイス・アメリカ に主要拠点。

心臓
神の摂理の聖堂(ワルシャワ)
plac Marszałka Józefa Piłsudskiego, 00-078 Warszawa
彼の心臓が埋葬されている記念碑。ワルシャワ中心部の戦没者の塔の近く。
ワルシャワ中央駅から徒歩 15 分。
住居
リオン・ボサージュ邸(スイス)
Riond-Bosson, 1110 Morges, Switzerland
彼が 40 年以上住んだスイス・モルジュの邸宅。今は記念博物館。
ジュネーブから列車で 30 分。
墓所
アーリントン国立墓地(USA)
Arlington National Cemetery, VA 22211
第二次大戦中、戦時下の特例として米国アーリントンに埋葬。1992 年にワルシャワに戻された。
ワシントンDC から地下鉄。

逸話

パデレフスキの逸話は政治家・ピアニスト両面に渡る。

独立条項
第一次大戦末期、米ウィルソン大統領を訪問。1 時間のピアノ演奏で大統領を感動させ、その後の交渉でポーランド独立を「14 か条平和原則」第 13 項に盛り込ませた。
1万 5 千人の聴衆
1900 年代のアメリカ・ツアーでは、シカゴ・コロシアムで 1 万 5 千人の前で演奏。ピアノ独奏会としては当時史上最大規模。
赤毛の伝説
彼の赤い髪を見るためだけにチケットを買う女性ファンが続出。コンサート前後に女性たちが髪を一本でも触ろうと殺到するため、専属警護がついた。
ヘップバーンの祖母
映画俳優オードリー・ヘップバーンの祖母は、パデレフスキ夫人エレーヌの親友。両者の家族は長く親交があった。

影響関係

学習者にとって

メヌエット ト長調 Op.14-1 は中級者の永遠の定番。優雅さと品格を両立する書法を学べる。ノクターン Op.16-4 はショパン経由のロマン派夜想曲伝統を直接継承する名曲。上級者は ピアノソナタ Op.21 でロマン派終焉期の重厚さを味わえる。