生涯
1835 年、パリで生まれた。3 歳でピアノを始め、5 歳で作曲、10 歳でモーツァルトの全ピアノ協奏曲を暗譜で演奏した史上稀な神童。
生涯で 600 曲以上の作品を残し、オペラ・交響曲・協奏曲・室内楽のすべてのジャンルで一流の作品を書いた。代表作は「動物の謝肉祭」「オルガン交響曲」「サムソンとデリラ」「序奏とロンド・カプリチオーソ」。
長寿で旅行家でもあり、北アフリカやアジアに頻繁に旅した。1921 年にアルジェで 86 歳で世を去った。
人となり
サン=サーンスの人となりを示す 4 つの側面。
音楽スタイル
サン=サーンスの音楽は、明晰な構成感と古典的な均整を身上とする。同時代のワーグナー的な重厚さやドビュッシーの曖昧さとは一線を画し、モーツァルトやメンデルスゾーンに連なる透明な書法を生涯守った。
ピアノ書法は指のよく回る華麗なパッセージと明確な輪郭を特徴とし、5曲のピアノ協奏曲がその粋を示す。とりわけ《ピアノ協奏曲 第2番 ト短調》作品22(1868年)は、荘重な序奏から軽快な終曲へ移る対比で今も人気が高い。フランス音楽に交響詩の形式を導入した革新者でもあった。
代表作品(ピアノで弾ける)
ピアノ史への貢献
1871年、サン=サーンスは「アルス・ガリカ(フランスの芸術)」を掲げる国民音楽協会の設立に加わり、ドイツ音楽偏重の時代にフランス人作曲家が器楽曲を発表する場を作った。フォーレをはじめ次世代の登竜門となり、フランス近代音楽の土壌を耕した功績は大きい。
1858年からマドレーヌ教会のオルガニストを務め、リストに「世界最高のオルガン奏者」と讃えられた即興の名手でもあった。
逸話
神童ぶりは際立っていた。1846年5月6日、10歳のサン=サーンスはサル・プレイエルで公式デビューし、全曲を暗譜で弾いた。しかもアンコールとして「ベートーヴェンの32のピアノ・ソナタのうち、希望の一曲を暗譜で弾く」と申し出たと伝えられる。晩年には《動物の謝肉祭》(1886年作曲)を、軽薄と受け取られ評判を損ねることを恐れ、《白鳥》以外は生前の演奏を禁じた。
学習者にとって
サン=サーンスのピアノ曲は、指がよく回ることを前提とした明快な音型が多く、粒立ちのよいタッチと均等なスケール・アルペジオが試される。ロマン派の情感よりも、古典的できびきびした運動性を求められる。
導入には《白鳥》(《動物の謝肉祭》より)のピアノ編曲が親しみやすい。本格的に挑むなら《ピアノ協奏曲 第2番》や、超絶技巧の《練習曲集》作品111のトッカータが目標になる。速く弾くほど粗が出るため、まず正確な運指の骨格を固めたい。
関連作曲家
出典・参考
このページの記述は、以下の資料をもとに確認しています。外部サイトが開きます。
