生涯
1865 年、フィンランドのヘメーンリンナで生まれた。当時のフィンランドはロシア帝国の自治大公国。法律を学ぶつもりが音楽の道を選び、ヘルシンキ・ベルリン・ウィーンで作曲を学んだ。
交響詩「フィンランディア」(1899)は、ロシア帝国からの独立を求めるフィンランド民族運動の象徴となった。7 つの交響曲・「ヴァイオリン協奏曲」など、北欧自然の壮大な音楽を残した。
1926 年、61 歳の時に作曲をぱたりと止めた。残りの 31 年間、ヤルヴェンパー郊外の自宅「アイノラ」で隠遁、1957 年に 91 歳で世を去った。
人となり
シベリウスの人となりを示す 4 つの側面。
音楽スタイル
シベリウスは交響曲や「フィンランディア」で知られるが、生涯に115曲を超えるピアノ独奏曲を残した。その多くは3〜4分の抒情的な小品で、19世紀サロン音楽の伝統に連なる。
もともとヴァイオリニストを志した彼にとって、ピアノは第一の楽器ではなかった。1901年12月作曲の「ロマンス」変ニ長調(作品24-9)に代表される歌謡的な旋律と、北欧の自然を映す和声が持ち味である。1914年の「5つの小品」(通称「樹の組曲」作品75)では「もみの木」など5曲が樹木の名を冠し、素朴な描写性を見せる。
代表作品(ピアノで弾ける)
ピアノ史への貢献
シベリウスのピアノ曲は長く軽視されてきた。批評家が交響曲と同じ壮大さを求め、小品を「管弦楽の縮小版」と切り捨てたためである。唯一のピアノ・ソナタ(ヘ長調 作品12、1893年)も、初演当時は管弦楽の編曲と評された。
だがそのソナタをグレン・グールドが擁護し、近年はレイフ・オヴェ・アンスネスらが録音を重ねて再評価が進む。大作曲家の知られざる抒情として、20世紀北欧ピアノ音楽の空白を埋める存在になりつつある。
逸話
弟子ベングト・フォン・テルネに、シベリウスはこう語ったと伝わる。「暇なときにピアノ曲を書く。じつのところピアノには興味がない。歌えない楽器だからだ」。ヴァイオリンを愛した彼らしい本音だが、その口から生まれた小品群が今、静かに見直されている。
学習者にとって
入口は「ロマンス」変ニ長調(作品24-9)がよい。約4分、アンダンティーノで、シベリウスのピアノ曲で最も録音が多く、技術的な無理がない。
より弾き応えを求めるなら「樹の組曲」の「もみの木」(作品75-5)へ。難所は指の速さより歌わない楽器で旋律を歌わせる音色設計にある。唯一のソナタ(作品12)は3楽章で規模が大きく、和声の厚みと構成把握を要する中級以上向けだ。
関連作曲家
出典・参考
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