生涯
1685年、ドイツ中部のアイゼナハで音楽家の家系(バッハ一族は7代続く音楽家系)に生まれた。9歳で母を、10歳で父を失い、長兄ヨハン・クリストフのもとに引き取られて音楽を学ぶ。15歳でリューネブルクの聖ミカエル学校に進み、北ドイツ・オルガン楽派を吸収した。
各地のオルガニスト・宮廷楽長を歴任。1723年から死ぬまで、ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(音楽指導者)として、毎週新しいカンタータを作曲しながら教鞭を執った。生涯で 1000曲以上 を残したとされる。
晩年は視力を失い、白内障の手術後の合併症で1750年に65歳で世を去った。生前の評価は「優れたオルガニスト」止まりで、作曲家としての真価が認められたのは死後80年以上経ってから。19世紀にメンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を再演したことが、バッハ復活の決定打となった。
人となり
バッハは 厳格な職人気質と深い信仰心 を併せ持つ人物だった。妥協を許さない頑固な性格で、雇用主との衝突も多かったが、家族に対しては愛情深い父親だった。20人の子供をもうけ(半数は早逝)、息子たちにも音楽を徹底的に教え込んだ。
一日のルーティン
ライプツィヒ時代のバッハは、聖トーマス教会カントルとして 毎週日曜のカンタータ を書き続けた。教育・指揮・作曲・演奏のすべてをこなす超人的な仕事量だった。
音楽スタイル
バッハの音楽の核心は 対位法(ポリフォニー) にある。複数の独立した声部が、それぞれ独自のメロディを持ちながら、和声的にも調和して進む音楽。一つの主題を様々な姿に変奏し、絡み合わせる「フーガ」の形式を完成形にまで高めた。
厳密に言えば、バッハは現代のピアノのための音楽は書いていない。彼が使ったのはチェンバロ・クラヴィコード・オルガンであり、ピアノはバッハの晩年に発明された新しい楽器に過ぎなかった。それでも彼の鍵盤作品は、現代のピアニストにとって最も重要なレパートリーの一つとなっている。
全作品リスト(主要・抜粋)
鍵盤独奏
- 1722平均律クラヴィーア曲集 第1巻 BWV 846-869
- 1723インヴェンションとシンフォニア BWV 772-801
- 1722-25フランス組曲 BWV 812-817
- 1715-22イギリス組曲 BWV 806-811
- 1726-30パルティータ BWV 825-830
- 1741ゴルトベルク変奏曲 BWV 988
- 1742平均律クラヴィーア曲集 第2巻 BWV 870-893
- 1748フーガの技法 BWV 1080
オルガン作品
- 1707トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565(実際の作曲年は議論あり)
- 多数コラール前奏曲集
- 1730頃パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV 582
協奏曲・管弦楽
- 1721ブランデンブルク協奏曲 BWV 1046-1051
- 多数管弦楽組曲 BWV 1066-1069
- 多数チェンバロ協奏曲(自作)
声楽(教会音楽)
- 約200曲教会カンタータ(毎週の礼拝用)
- 1727マタイ受難曲 BWV 244
- 1724ヨハネ受難曲 BWV 245
- 1734クリスマス・オラトリオ BWV 248
- 1749ロ短調ミサ BWV 232
室内楽・無伴奏
- 1720頃無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ BWV 1001-1006
- 1720頃無伴奏チェロ組曲 BWV 1007-1012
代表作品(ピアノで弾ける)
ピアノ史への貢献
バッハがピアノ音楽に残した最大の遺産は、「鍵盤楽器で何ができるか」の体系化 だった。指の独立、両手の役割分担、対位法、アーティキュレーション、和声の進行 — これらすべてが、彼の作品で精緻に定式化されている。
ピアノ学習者の標準コースは、おおむね「インヴェンション → シンフォニア → 平均律」と進む。これは事実上、世界共通の鍵盤音楽教育プログラムになっている。バッハから逃げることは、ピアノ学習者にとって不可能に近い。
聖地巡礼
バッハゆかりの地は、ドイツ中部に集中している。「バッハ街道(Bachstraße)」と呼ばれる観光ルートも整備されている。ライプツィヒ・アイゼナハ・ヴァイマル・ケーテンを巡る2〜3日の旅が定番。
逸話
バッハには20人の子供がいた。そのうちカール・フィリップ・エマヌエル・バッハとヨハン・クリスティアン・バッハは、後に父を超える名声を得た作曲家になった。「J.S.バッハ」と呼ばれるのは、息子たちと区別するため。
モーツァルトは少年時代、バッハの息子ヨハン・クリスティアンからピアノを学んだ。ベートーヴェンは「あれは小川(Bach)ではなく、海だ」と評した(ドイツ語のBachは「小川」の意)。19世紀に再発見されてから、ピアノ教育の中心に置かれ続けている。
1705年、若きバッハは北ドイツのリューベックまで 400kmを徒歩 で旅し、当時の大家ブクステフーデのオルガンを聴きに行った。許可された休暇は4週間だったが、バッハは4ヶ月不在となり、雇用主の怒りを買った。
影響関係
影響を受けた
- ブクステフーデ(オルガン)
- ヴィヴァルディ(協奏曲構造)
- パッヘルベル
- 北ドイツ・オルガン楽派
影響を与えた
- モーツァルト(息子J.C.経由で)
- ベートーヴェン
- ショパン(対位法学習)
- メンデルスゾーン(バッハ復興者)
- 20世紀以降のすべての作曲家
学習者にとって
「バッハは退屈」と感じる初級者は多い。しかし中級以上に進むと、バッハの作品で身につけた「両手の独立」「対位法的聴き方」が、すべての音楽の基礎になっていることに気づく。
初級者には メヌエット ト長調 BWV Anh.114 から、中級にはインヴェンション、上級には平均律という王道のコースがある。「フーガを聴きながら3声を聴き分ける」訓練は、ピアノを生涯学ぶ人なら誰もが通る道。