Composers

作曲家

Composer Profile

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(バルバラ・クラフト作、1819年)
1756 – 1791 オーストリア 古典派

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

透明で完璧な構築 — 「簡単に聴こえる」のが最も難しい。

生涯

1756年、ザルツブルクで宮廷音楽家の息子として生まれた。父レオポルトの教育のもと、3歳でクラヴィーアを弾き、5歳で作曲を始める。6歳から父に連れられてヨーロッパ各地で「神童」として演奏旅行をした。マリア・テレジア女帝、ルイ16世、ジョージ3世らの前で演奏した。

後年は父との衝突、ザルツブルクの宮廷音楽家としての不遇、ウィーンでのフリーランス活動を経験。生涯にわたり経済的困窮と戦いながら、35年の短い人生で 600曲以上 を残した。1791年、レクイエム制作中に病で世を去った。妻コンスタンツェへの最後の手紙は「私のためのレクイエムを書いている」だった。

人となり

モーツァルトは 天才肌で子供っぽい遊び心 を持つ人物だった。神童として育ったが、社会人としては苦労した。手紙には驚くほど下品なユーモア(スカトロジカルなジョーク)が満ちており、「神童」のイメージとは違う人間臭さが見える。

気質
陽気・遊び心
パーティを愛し、酒・女性・ダンスを楽しんだ。「真面目で内省的」とは正反対。
趣味
ビリヤード・ボウリング
頭の中で曲を組み立てながら、ビリヤードに興じる。家にビリヤード台を所有していた。
下品な手紙
スカトロジカル
妻、いとこ宛ての手紙には驚くほど下品なジョーク。後世の編集者は何度も削除を試みた。
浪費家
借金まみれ
高収入でありながら、高級な服・住居・宴会で借金を重ねた。妻コンスタンツェも質素ではなかった。
家族愛
妻と子への愛
借金しても妻コンスタンツェの療養旅行を欠かさなかった。6人の子のうち2人だけが成人。
作曲法
頭の中で完成
作曲は「頭の中で全て完成してから書く」と語った。書き直しの跡がほとんどない楽譜。
音は宙から私のもとに降りてくる。
私はただ、それを書き留めるだけだ。 モーツァルト(手紙より)

一日のルーティン

晩年のウィーン時代、モーツァルトは 朝6時から夜中まで活動する超多忙な毎日 を送っていた。自筆の手紙にこのスケジュールが詳細に残されている。

6:00 起床。すでに服装を整え、髪も結ってもらう。
7:00–9:00 作曲。早朝の冴えた頭で集中作業。
9:00–13:00 弟子へのレッスン、貴族家庭への出張教授。これが主な収入源。
13:00–14:00 遅めの昼食。レストランか自宅で。
14:00–17:00 作曲、ビリヤード、休憩、または貴族のサロン訪問。
17:00–22:00 演奏会、オペラ、社交。劇場での演奏も多かった。
22:00–25:00 深夜に作曲(特に締切に追われた時期)。コーヒーとワインを飲みながら。

音楽スタイル

モーツァルトの音楽は、初心者でも触れられるほど明快で、しかしプロが弾いても「これでよし」とはならない難しさを持つ。装飾の少ない透明な書法、隠せないミス、表面的な美しさの下にある精緻な構造。「水のように澄んでいる」 と評される所以である。

古典派の理想形 — 明快な形式、対称性、優美なメロディ、洗練されたユーモア。ベートーヴェンが「ぶつかる音楽」なら、モーツァルトは「滑る音楽」。一切の不純物を許さない、ピアノ的な「音の透明性」が問われる。

全作品リスト(主要・抜粋)

ピアノソナタ(全18曲)

  • K.279-284初期ソナタ(ザルツブルク時代)
  • K.310ピアノソナタ第8番 イ短調(母の死後)
  • K.331ピアノソナタ第11番 イ長調「トルコ行進曲付き」
  • K.332ピアノソナタ第12番 ヘ長調
  • K.545ピアノソナタ第16番 ハ長調「子供のためのソナタ」
  • K.570ピアノソナタ第17番 変ロ長調
  • K.576ピアノソナタ第18番 ニ長調(最後のソナタ)

ピアノ協奏曲(27曲)

  • K.466第20番 ニ短調(最も人気の協奏曲)
  • K.467第21番 ハ長調
  • K.488第23番 イ長調(第2楽章が美しい)
  • K.491第24番 ハ短調
  • K.595第27番 変ロ長調(最後の協奏曲)

歌劇(重要作)

  • 1786フィガロの結婚 K.492
  • 1787ドン・ジョヴァンニ K.527
  • 1790コジ・ファン・トゥッテ K.588
  • 1791魔笛 K.620

交響曲(41曲)

  • K.550第40番 ト短調
  • K.551第41番 ハ長調「ジュピター」(最後の交響曲)

室内楽・宗教音楽

  • K.581クラリネット五重奏曲
  • K.467セレナーデ第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
  • K.626レクイエム ニ短調(未完)

代表作品(ピアノで弾ける)

ピアノ史への貢献

モーツァルトはピアノを 「個人の声」を表現する楽器 へと変えた最初の作曲家である。それまで貴族のサロンの装飾だったクラヴィーア音楽が、彼の手で「主体性を持った音楽」になった。

ピアノ協奏曲も20曲以上を残し、独奏楽器とオーケストラの対話の理想形を確立。後のベートーヴェン、ショパン、ブラームスのピアノ協奏曲はすべてモーツァルトの土台の上に立つ。

聖地巡礼

モーツァルトゆかりの地は、生まれ故郷のザルツブルクと最後を過ごしたウィーンに集中している。両都市はオーストリアを代表する観光地で、モーツァルト関連スポットだけで2〜3日の旅程が組める。

生家
モーツァルトの生家(Mozarts Geburtshaus)
Getreidegasse 9, 5020 Salzburg, Austria
1756年にモーツァルトが生まれ、17歳まで暮らした建物。3階に博物館が入り、当時の楽器・自筆譜・遺品を展示。世界中から年100万人以上が訪れる。
ザルツブルク中央駅から徒歩15分または市バス。年中無休。
住居
モーツァルトの住居(Mozart-Wohnhaus)
Makartplatz 8, 5020 Salzburg
17歳から26歳まで家族と暮らした家。生家より広く、当時の生活様式がより詳細に再現されている。第二次大戦で爆撃されたが、忠実に復元。
生家から徒歩10分。共通チケットで生家とセット観覧可。
ウィーン住居
モーツァルトハウス・ウィーン
Domgasse 5, 1010 Wien
「フィガロの結婚」を書いた時期に住んでいた家。モーツァルトが住んだウィーン時代の住居で唯一現存。シュテファン大聖堂の裏手にある。
地下鉄シュテファン大聖堂駅から徒歩2分。
墓地
ザンクト・マルクス墓地
Leberstraße 6-8, 1030 Wien
モーツァルトが「貧民墓地」に葬られた場所。墓所は記録に残らず正確な位置は不明だが、慰霊碑が建てられている。一般的な観光地ではないが、聖地巡礼の対象。
市バス71番でザンクト・マルクス墓地下車。
記念碑
中央墓地のモーツァルト記念碑
Simmeringer Hauptstraße 234, Wien
ウィーン中央墓地の「音楽家の墓」エリアにあるモーツァルトの慰霊碑(実際の遺骨はない)。ベートーヴェン・シューベルト・ブラームス・シュトラウス一族と並ぶ。
市電71番で中央墓地下車。
音楽祭
ザルツブルク音楽祭
毎年7月下旬〜8月、ザルツブルク市内
世界最高峰のクラシック音楽祭。モーツァルトのオペラ・室内楽が中心レパートリー。チケットは1年前から予約必須。
公式サイト「Salzburger Festspiele」で予約。
モーツァルト2泊3日コース:1日目ザルツブルク(生家・住居・大聖堂)→ 2日目ザルツブルク郊外(モーツァルト関連の風景)→ 3日目ウィーンへ移動(モーツァルトハウス・ザンクト・マルクス墓地)。ザルツブルク〜ウィーン間は列車で2時間半。

逸話

幼少期の旅行記録には数々の伝説が残る。ロンドン滞在中(8歳)、王立協会の科学者の前で目隠しをして即興演奏した。バチカンで「アレグリのミゼレーレ」(門外不出の楽譜)を一度聴いただけで完全に書き起こした。

晩年、貧困と病で苦しみながらも作曲は止まらなかった。死の床で書かれた未完の「レクイエム」は、弟子のジュスマイヤーが補筆して完成させた。ウィーンの貧民墓地に葬られ、墓所は不明のまま。

モーツァルトの遺体は 「貧民の共同埋葬」 という当時の制度で葬られた。雨の悪天候で葬列に同行者がいなかったという「悲しい逸話」は後世の創作で、実際は単に当時の質素な葬送だっただけ、とする説もある。

影響関係

影響を受けた

  • 父レオポルト・モーツァルト
  • J.C.バッハ(バッハの末子)
  • ハイドン(友人で師匠的存在)

影響を与えた

  • ベートーヴェン
  • シューベルト
  • ショパン
  • すべての古典派・ロマン派

学習者にとって

モーツァルトの作品は 「ピアノの音そのもの」を試される。装飾やペダルでごまかせない、剥き出しの音の美しさが求められる。タッチが浅い、リズムが甘い、フレーズの呼吸が悪い — すべてが見えてしまう。

初級者には K.545、中級者には K.310・K.332、上級者には協奏曲やソナタの後期作品。プロでも一生をかけて取り組む対象であり、シュナーベルやウチダ・ミツコのように、晩年にモーツァルトを録音し直す名匠は多い。