Composers

作曲家

Composer Profile

バイエル
1803 – 1863 ドイツ ロマン派

バイエル

世界中の初心者が最初に開く「バイエル」教本。

生涯

ドイツの作曲家フェルディナント・バイエルが著した「ピアノ奏法入門書」(通称バイエル教則本)は、19世紀以来、初心者用ピアノ教本の世界的な定番となった。特に日本では明治期に導入されて以来、「バイエルで習い始める」ことがピアノ入門の代名詞となっている。

作曲家本人についての記録は少なく、肖像画も現存が確認されていない。それでも彼の名は、教本を通じて世界中の子供たちに今も受け継がれている。

人となり

バイエルの人となりを示す 4 つの側面。

教則
バイエル教則本
初心者が最初に学ぶ、段階式の入門書。
対象
初心者の第一歩
やさしい曲から少しずつ音域と両手を広げる。
日本
明治以来の定番
日本のピアノ教育に深く根づいた。
逸話
肖像画は現存せず
人物像の記録が乏しい、謎の多い作曲家。

音楽スタイル

生前のバイエルは、教則本の作者としてよりも大衆向けの軽音楽と編曲の書き手として知られていた。28歳ごろマインツに移り、楽譜出版社ショットのために、当時流行したオペラや管弦楽曲の主題をピアノ用に編曲した小品を大量に供給した。芸術音楽の作曲家というより、市場に向けて書く職業音楽家である。

その筆致は『ピアノ奏法入門書』作品101にも表れている。全106曲は難易度順に並ぶが、単なる指の体操ではなく、冒頭の第1番・第2番に現れる主題を変奏していく構成を持ち、多くの曲に教師が弾く伴奏声部が添えられている。初版の題には「最も年少の生徒のための」とあり、家庭で母親が子どもに教える場面が想定されていた。

代表作品(無料楽譜へ)

ピアノ史への貢献

作品101は1850年にマインツのショット社から出版され、ドイツ語圏にとどまらず、フランス語・英語・スペイン語・ロシア語・チェコ語・日本語などに訳されて広まった。初心者を番号順に一歩ずつ運ぶという設計は、19世紀後半以降の初等ピアノ教育の標準形をつくった。

とくに日本での影響は大きい。1880年(明治13年)、文部省音楽取調掛の最初のお雇い外国人として来日したルーサー・ホワイティング・メーソンが、教材用のスクエアピアノとともにバイエルの教則本を持ち込んで以来、「バイエルを終える」ことが初心者の到達目標として定着した。研究者の安田寛は、日本に最も影響を与えた音楽家はバッハやモーツァルトよりむしろバイエルだと述べている。

逸話

バイエルほど有名でありながら、その経歴はほとんど伝わっていなかった。事典に数行あるだけで、生年は1803年説などが流布し、実在しない人物ではないか、複数人が使ったペンネームではないかとまで疑われた。安田寛は洗礼記録などの一次資料をたどって1806年7月25日クヴェアフルトの生まれと確認し、1863年の音楽新聞に載った死亡記事も突き止めている。仕立て屋の息子で、12歳でライプツィヒの聖トーマス学校に進んだ人物だった。

学習者にとって

全106曲は番号で呼ばれ、予備練習から始まって少しずつ音域と手の動きが広がる。多くの曲に教師用の伴奏が付いているため、独習よりも誰かと合わせて弾くほうが設計意図に合う。第1番から順に進めば、拍を数えること、両手を独立させること、指番号どおりに手を置くことが自然に身につく。

一方で、ハ長調中心で調号の少ない曲が長く続くこと、短調やヘ音記号の登場が遅いことは早くから指摘されてきた。1990年代以降の日本では「バイエルだけで進めてよいのか」が繰り返し議論になり、現在は併用曲集や他の教材と組み合わせて使うのが一般的である。

関連作曲家

この作曲家が登場する読み物

出典・参考

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