生涯
1605年、ローマ近郊のマリノに生まれた。ローマで音楽教育を受け、1629年からローマのジェズ・エ・マリア教会の楽長を務めた後、1629年にサンタポスト教会(後のゲルマン・ハンガリー教会)の楽長に就任し、死去するまでの45年間その職を守った。
ローマはカトリック教会の中心地であり、カリッシミはイエズス会の神学的な音楽教育の要職に就いていた。ここで彼は聖書のドラマを演奏会形式で表現する「オラトリオ」という新しい音楽形式を確立した。1674年、ローマで69歳で死去。
人となり
カリッシミは 「教育者と革新者の両面を持つ人」 だった。イエズス会の音楽教師として多くの弟子を育てながら、同時にオラトリオという全く新しい音楽ジャンルを生み出した。彼の音楽は「聖書の劇的な瞬間を音楽で生き生きと描写する」力に優れており、旧約聖書の物語をまるで目の前で見るような体験に変えた。
音楽スタイル
カリッシミの音楽は 「劇的な表現力と美しい旋律の融合」 だ。バロック音楽の通奏低音(バッソ・コンティヌオ)技法を基盤に、登場人物の感情を音楽で鮮明に描写した。特に悲劇的な場面での表現——ヨナの嘆き・イエフタの娘の哀しみ——は、同時代の作曲家の中でも際立った深さを持っていた。
また合唱の使い方も革新的で、単なる和声的背景ではなく、民衆の声・神の声・嵐の音として劇的に機能させた。この合唱技法はヘンデルのハレルヤ・コーラスに直接受け継がれている。
代表作品
旧約聖書「士師記」のイエフタ(ヤフタ)の物語を題材にしたオラトリオ。娘の嘆きのアリア「Plorate colles(丘よ、泣け)」は後世に大きな影響を与えた。カリッシミの最も有名な作品で、バロック・オラトリオの最高傑作のひとつ。
旧約聖書ダニエル書のバビロン王バルタザールの宴席と神の審判を描いたオラトリオ。壁に現れる神秘的な文字「メネ・テケル・ウパルシン」の場面の音楽が劇的で、カリッシミの「恐怖と畏怖」の描写力が際立つ。
旧約聖書ヨナ書の物語(クジラに飲み込まれる場面を含む)を題材にしたオラトリオ。嵐の音楽・クジラの中のヨナの祈り・ニネベへの伝道を鮮明に音楽で描写した。海の嵐を合唱で表現する場面が特に有名。
ピアノ史への貢献
カリッシミはピアノ曲を書いていないが、彼が確立した「オラトリオ」の形式は音楽史の流れを変え、最終的にピアノ音楽にも深く影響した。ヘンデルのオラトリオ(メサイア等)はカリッシミから直接影響を受けており、バッハの受難曲もその系譜にある。そしてバッハのピアノ作品(平均律クラヴィーア曲集・ゴルトベルク変奏曲)は、このバロック宗教音楽の深さを鍵盤楽器に凝縮したものだ。
「劇的な表現力を声でなく音楽で伝える」というカリッシミの理念は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタが「セリフなしでドラマを語る」ことへとつながる音楽史の大きな潮流の源泉にある。
カリッシミが45年間楽長を務めた教会。現在のドイツ・ハンガリー巡礼教会。ローマ中心部に位置し、カリッシミがオラトリオを完成させた場所として音楽史上重要な意味を持つ。
カリッシミが若い頃にオルガニストを務めた教会。現在も礼拝が行われており、バロック時代のローマ音楽文化の残影を感じることができる。
逸話
カリッシミは「作品を残さない」ことにこだわったとされる。彼が作曲した多くのオラトリオは、弟子たちが写本して後世に伝えたが、カリッシミ自身は出版や自筆稿の保存にほとんど関心がなかった。「音楽は演奏される瞬間のためのもの。紙の上に残る必要はない」という考えだったと伝わる。
アレッサンドロ・スカルラッティ(バロック・オペラの大家)もローマでカリッシミの音楽を聴いて影響を受けた。バロック・イタリアの声楽表現の流れ——カリッシミ→A.スカルラッティ→ペルゴレージ——は、イタリア音楽が世界を制覇した経路を示している。
- モンテヴェルディ(初期バロックの声楽表現)
- ローマ・カトリック教会の典礼音楽
- 初期イタリア・バロックのモノディ様式
- M.A.シャルパンティエ(直接の弟子)
- A.スカルラッティ(間接的影響)
- ヘンデル(オラトリオ様式を継承・発展)
- J.S.バッハ(受難曲の形式に影響)