Composers

作曲家

Composer Profile

クラウディオ・モンテヴェルディ(ベルナルド・ストロッツィ作、1640年頃)
1567 – 1643 イタリア 後期ルネサンス/バロック初期

クラウディオ・モンテヴェルディ

オペラの父 — ルネサンスからバロックへの橋をかけ、音楽史最大の革命を起こした。

生涯

1567年、北イタリアのクレモナに生まれた。幼少期から音楽の才能を示し、10代ですでにマドリガルを出版するほどの早熟ぶりだった。1590年、23歳でマントヴァのゴンザーガ侯爵家の宮廷楽師に就任し、この地で音楽史上の大革命を起こすことになる。

1607年、マントヴァで「オルフェオ」を初演。これは現代も上演され続ける最古のオペラのひとつとなった。「音楽で語る劇」という全く新しいジャンルを作り出し、ヨーロッパの音楽史を根本から変えた。しかし同年、最愛の妻カタリーナが急死。悲嘆に暮れながらも創作を続けた。

1613年、46歳でヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長に就任。ヨーロッパ最高の音楽ポストを得て、以後30年間ヴェネツィア音楽を支配した。1643年、76歳で死去。その訃報はヨーロッパ中に伝わり、「音楽の守護者が逝った」と悼まれた。

人となり

モンテヴェルディは 革命家でありながら伝統への深い敬意を持つ人物 だった。新旧二つの様式——「プリマ・プラッティカ(古い実践)」と「セコンダ・プラッティカ(新しい実践)」——を意識的に区別して使い分けた。弟子のジョヴァンニ・マリア・アルトゥージが「不協和音の使い方が間違っている」と批判したとき、モンテヴェルディは「感情表現のために不協和音を使うのは正しい」と堂々と反論した。

革命性
ふたつの時代をまたいだ
ルネサンス様式を極め尽くしながら、バロックの新しい感情表現を開拓した。どちらの様式も自在に行き来できる唯一無二の存在。
論争の人
「新しい音楽」の戦士
アルトゥージの批判に対し、感情表現のための不協和音使用を公に弁護。「音楽は感情の奉仕者であるべき」という新しい哲学を確立した。
悲劇と創作
喪失から生まれた音楽
妻の死(1607年)後に書いた「アリアンナの嘆き」は、リアルな悲嘆を音楽で表現した先駆け。「音楽で泣かせる」技法の原点となった。
宗教と世俗
両極を制覇
サン・マルコ大聖堂の荘厳な宗教音楽と、オペラ・マドリガルの世俗音楽という正反対のジャンルで同時に最高峰の地位に立った。
晩年の傑作
75歳でのオペラ
「ポッペアの戴冠」は死の1年前に完成。75歳の老人が書いたとは信じがたいほど革新的。権力・愛・欲望を描いた最初のリアリスティックなオペラ。
実用主義
利用可能な奏者で書く
「オルフェオ」は当時入手できるほぼすべての楽器を使った。理想ではなく現実の演奏環境に合わせて書く実用家の側面も持っていた。
言葉は音楽の女主人であり、音楽はその侍女である。 モンテヴェルディ(「マドリガル集」第4巻 序文より)

音楽スタイル

モンテヴェルディが最も貢献したのは 「感情の音楽化」 だ。ルネサンス音楽では「美しい和声と対位法」が目的だったが、モンテヴェルディは「音楽は感情を伝える道具」と宣言し、怒り・悲しみ・愛・絶望を音で直接表現することを正当化した。

「スティレ・コンチタート(興奮した様式)」—弦楽器の激しいトレモロで怒りや興奮を表現する技法—を発明。これはその後のすべてのオペラ作曲家が使う基本技法となった。また、従来は厳禁だった「準備なしの不協和音」を感情表現のために意図的に使用し、音楽の語彙を根本的に拡張した。

代表作品

オルフェオ(歌劇) 1607年

オペラとして現代も上演される最古の作品のひとつ。ギリシャ神話のオルフェウスと冥界への旅を描く。オーケストラを駆使した最初の大規模音楽劇。

ポッペアの戴冠(歌劇) 1642年

死の前年に完成した晩年の傑作。ローマ皇帝ネロとポッペアの愛と権力を描く。神話でなく歴史上の人物を主人公にした最初のオペラ。

マドリガル集 第1〜9巻 1587–1651年

半世紀にわたって書き続けたマドリガルの全集。第1巻はルネサンス様式、第8巻(戦いのマドリガル)はバロック様式の頂点。音楽史の変化を一人で体現した。

聖母マリアの夕べの祈り(ヴェスプロ) 1610年

バロック合唱音楽の記念碑的作品。多様な声部・楽器・様式を組み合わせた大規模合唱曲。バッハの「マタイ受難曲」に先駆ける合唱音楽の金字塔。

全作品リスト(主要・抜粋)

オペラ

  • 1607オルフェオ(現存する最古の傑作オペラ)
  • 1608アリアンナ(ほぼ散逸、「アリアンナの嘆き」のみ現存)
  • 1640ウリッセの帰還(再発見されたオペラ)
  • 1642ポッペアの戴冠

マドリガル集

  • 1587マドリガル集 第1巻(ルネサンス様式)
  • 1603マドリガル集 第4巻(「新様式」宣言)
  • 1638マドリガル集 第8巻(戦いと愛のマドリガル)
  • 1651マドリガル集 第9巻(没後出版)

宗教音楽

  • 1610聖母マリアの夕べの祈り(ヴェスプロ)
  • 多数ミサ曲、モテット、賛歌

ピアノ史への貢献

モンテヴェルディは鍵盤曲をほとんど書かなかったが、彼が確立した「感情表現」の美学はすべての後続作曲家に影響を与えた。フレスコバルディはモンテヴェルディと同時代人として直接影響を受け、その感情的な和声法を鍵盤音楽に移植した。

「スティレ・コンチタート(興奮様式)」のトレモロは、ピアノ音楽においても感情的クライマックスの表現技法として継承された。ベートーヴェンのピアノソナタにおける激しいオクターブのトレモロは、モンテヴェルディが始めた伝統の末裔だ。

サン・マルコ大聖堂(ヴェネツィア)

モンテヴェルディが30年間楽長を務めた世界的名声の聖堂。今も彼の命日(1643年11月29日)前後に記念演奏会が行われる。黄金のモザイクに囲まれた空間でその音楽を聴く体験は格別。

パラッツォ・ドゥカーレ(マントヴァ)

「オルフェオ」が初演されたゴンザーガ家の宮廷。マントヴァはモンテヴェルディが20年を過ごした場所で、音楽革命の発火点となった街。

サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂(ヴェネツィア)

モンテヴェルディが埋葬された聖堂。ティツィアーノの「被昇天」が輝く空間に、音楽の革命家の墓がある。

逸話

「オルフェオ」初演後、モンテヴェルディはヴィンチェンツォ1世に「なぜオペラなどという新しいものを作ったのか」と問われた。モンテヴェルディは「詩と音楽が合わさったとき、言葉だけでも音楽だけでも届かない場所に人の心が届くからです」と答えたという。

妻の死後に書いた「アリアンナの嘆き」は初演で聴衆のほぼ全員が涙を流したと記録されている。「音楽で観客を本当に泣かせた」最初の事例として音楽史に刻まれている。

モンテヴェルディは64歳のとき、長年の願いだった司祭の叙階を受けた。「聖と俗の両方を生きた」作曲家として、晩年は神父として宗教音楽に力を注ぎながら、同時に「ポッペアの戴冠」のような官能的なオペラも書き続けた。

影響を受けた
  • マルク・アントニオ・インジェニェーリ(師、クレモナ大聖堂)
  • ジャック・ド・ヴェール(フランドル・ポリフォニー)
  • キアラ・マリア・カッチーニ(フィレンツェ・カメラータの理論)
  • ルネサンス・マドリガルの伝統(ジェズアルド等)
影響を与えた
  • フレスコバルディ(感情表現の語法)
  • カヴァッリ(ヴェネツィア・オペラの継承者)
  • シュッツ(ドイツへのバロック様式伝播)
  • ほぼすべてのオペラ作曲家(オペラという芸術形式の発明)

学習者にとって

モンテヴェルディの音楽は鍵盤演奏よりも声楽・合唱で親しまれるが、彼の美学を理解することはバロック音楽全体を弾く上で非常に重要だ。

「音楽は感情の表現であるべき」というモンテヴェルディの哲学は、バッハからショパンまで連綿と続く西洋音楽の基本思想。ピアノ学習者がこの考え方を知ると、楽譜の音符の向こうにある「感情」を意識しながら演奏するようになる。

モンテヴェルディの「オルフェオ」や「マドリガル集」を聴くことは、バロック音楽の起源を理解する最高の方法だ。バッハのカンタータやヘンデルのオペラがなぜあのような表現をするのかが、モンテヴェルディを通じて見えてくる。