生涯
1876 年、スペイン南部カディスで生まれた。マドリードで作曲を学んだ後、1907 年にパリへ移住、7 年間ドビュッシー・ラヴェル・デュカスらと交流。
スペイン内戦勃発後、1939 年にアルゼンチンへ亡命。代表作「恋は魔術師」「三角帽子」「スペインの庭の夜」「アトランティーダ(未完)」など、スペイン民族色と現代和声を融合させた。
カトリック信者として禁欲的な独身生活を貫いた。1946 年にアルゼンチン・アルタ・グラシアで 69 歳で世を去った。
人となり
ファリャの人となりを示す 4 つの側面。
音楽スタイル
マヌエル・デ・ファリャ(1876-1946)の音楽は、アンダルシアの深い歌「カンテ・ホンド」の激しさと、パリで吸収した印象派・新古典の精緻な書法が結晶したものだ。1907年からの約7年間パリに滞在し、ドビュッシー、ラヴェル、デュカスと交流したことが語法を決定づけた。
作風は寡作で厳格。無駄を削ぎ落とした硬質な響きと、床を踏み鳴らすようなリズムの推進力が特徴で、甘美なグラナドスとも、装飾的なアルベニスとも異なる、乾いた強度を持つ。
代表作品(ピアノで弾ける)
ピアノ史への貢献
ファリャはスペイン音楽を国際的なモダニズムの水準へ引き上げた。ピアノと管弦楽のための『スペインの庭の夜』(1915)で色彩的頂点を示し、独奏では最大・最難の『ベティカ幻想曲』(1919、アルトゥール・ルビンシュタインに献呈)でアンダルシア語法を総括した。独奏ピアノ作品の数自体は少ないが、一曲ごとの密度が濃い。
逸話
ファリャは1922年、詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカらとグラナダで「カンテ・ホンド・コンクール」を開き、消えゆく民俗歌の保存に尽力した。スペイン内戦後の1939年にはアルゼンチンへ渡り、フランコ政権が用意した要職を拒んで帰国せず、1946年アルタ・グラシアで客死した。
学習者にとって
独奏の入口は『スペイン風の4つの小品』(1906-1908)。「アラゴネーサ」「クバーナ」「モンタニェーサ」「アンダルーサ」の4曲からなり、比較的短く各地方の色を学べる。
『ベティカ幻想曲』は独奏曲最難関で、連打音・跳躍・ギターのラスゲアード的な打鍵が容赦なく続く。生半可な技術では音楽が崩れるため、まず4つの小品でファリャ特有の打鍵とリズム感覚を体に入れることを勧める。
関連作曲家
出典・参考
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