生涯
1525 年頃、ローマ近郊の町パレストリーナに生まれた。名は出身地に由来する。少年時代からローマの聖堂で歌い、やがてサン・ピエトロ大聖堂、システィーナ礼拝堂、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ、サンタ・マリア・マッジョーレなど、ローマの主要聖堂の音楽監督を歴任した。
彼が生きたのは、宗教改革に対抗してカトリック教会が自らを立て直そうとした時代である。トリエント公会議では、複雑になりすぎた多声音楽が「歌詞が聞き取れず、祈りにふさわしくない」と批判され、廃止さえ検討された。伝説によれば、彼の「教皇マルチェルスのミサ」がその明晰さで多声音楽を救ったという(史実かどうかは定かでない)。
生涯に 104 曲を超えるミサ曲、250 以上のモテットを残し、1594 年にローマで世を去った。清らかで均衡のとれた彼の書法は「パレストリーナ様式」と呼ばれ、対位法の理想として、その後何百年ものあいだ学ばれ続けた。
人となり
パレストリーナの人となりを示す 4 つの側面。
規範
対位法の理想
滑らかで濁りのない声部進行は、のちにフックスの教則本『グラドゥス・アド・パルナッスム』で体系化され、モーツァルトやベートーヴェンも学んだ。
公会議
多声音楽を救う
トリエント公会議の改革の危機に、歌詞が明瞭に聞き取れるミサ曲で「多声音楽は祈りと両立できる」と示したと伝わる。
多作
104 のミサ曲
ミサ曲だけで 104 曲以上、モテットは 250 以上。ルネサンス教会音楽の頂点にして集大成である。
別名
「音楽の君主」
その圧倒的な権威から「音楽の君主」「教会音楽の父」と称えられ、後世の作曲教育の手本であり続けた。
代表作品(無料楽譜へ)
「教皇マルチェルスのミサ」
多声音楽を救ったと伝わる代表作。澄明で気高いミサ曲。
モテット「谷川を慕う鹿のように」
澄みきった美しさで、今も最も愛されるモテット。
ミサ曲「聖母は昇天せり」
六声部が織りなす、円熟期の輝かしいミサ。
「スターバト・マーテル」
二重合唱で歌われる、聖母の悲しみの音楽。
モテット集「雅歌」
旧約聖書の愛の詩に付けた、官能的で美しい 29 のモテット。