生涯
1656年、パリの靴職人の家庭に生まれた。幼少期にサント=シャペル教会の聖歌隊に入り、音楽の才能を示した。変声期に聖歌隊を外された後、当時フランス最高のヴィオール奏者サント=コロンブに弟子入りを許された。しかし師に「もはや教えることはない」と言われた後も、師の家の床下に潜り込んで演奏を聴き続けたという伝説が残っている。
1675年頃にルイ14世の宮廷音楽家となり、長年王室の音楽家として活動した。「王室ヴィオール奏者」の地位を得たマレは、ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)音楽の最高峰として生涯550曲以上の作品を残した。
1728年、71歳でパリにて死去。1991年のフランス映画「めぐり逢う朝」(監督:アラン・コルノー)でその波乱の生涯が映画化され、現代でも広く知られている。
人となり
マレは 「執念の人」 だった。師サント=コロンブに追い出された後も床下に潜って師の演奏を盗み聴きしたという逸話は、その音楽への執念を象徴する。一方で宮廷での地位を確立してからは、19人の子供をもうけながら家庭も大切にした人間的な温かさを持っていた。
音楽スタイル
マレの音楽は 「フランス・バロックの洗練と深み」 だ。ルイ14世時代の宮廷音楽の優雅さ——豊かな装飾音・流れるような旋律・精緻なアルペジオ——を最高レベルで具現化しながら、同時に深い感情表現を持っていた。
ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)という楽器の特性——弦の擦り方・弓の使い方・指の位置——を極限まで活用した書法は、鍵盤楽器では到達できない音色と表現の幅を持っていた。20世紀後半の古楽復興によって「バロック最美の弦楽器音楽」として再発見された。
代表作品
生涯をかけて書き続けた550曲以上のヴィオール小品集。アルマンド・クーラント・サラバンド・ジグ等のダンス形式から標題音楽まで多様な作品を収録。フランス・バロック弦楽器音楽の金字塔。
当時の外科手術(胆石除去)の過程を音楽で描写したユニークな標題音楽。患者が椅子に縛られる場面から手術終了まで、音楽で具体的な場面を描く。バロック標題音楽の奇作・傑作。
繰り返すバス音型の上でヴィオールが変奏を展開する大曲。フランス・バロックのシャコンヌ様式の最高峰のひとつ。ジョルディ・サバール等の演奏でバロック音楽愛好家に広く知られる。
ピアノ史への貢献
マレ自身はヴィオール専門の作曲家であり、鍵盤曲はほとんど残していない。しかし彼が確立した 「フランス・バロックの装飾音と小品様式」 は、クープランの「クラヴサン曲集」を経てバッハの「フランス組曲」に至る系譜の重要な構成要素だ。
また「標題音楽」——具体的な情景・物語を音楽で描写する手法——の先駆的実践者として、後のリストの「交響詩」、ドビュッシーの「印象主義」への遠い先祖となった。ピアノ音楽における「物語を語る音楽」の原点のひとつがマレにある。
マレが幼少期に聖歌隊員として歌ったゴシック建築の傑作教会。ルイ9世が建てたステンドグラスが有名。マレの音楽の美的感覚の原点となった場所。
マレが長年仕えたルイ14世の宮廷。マレの音楽はこの豪華絢爛な宮廷文化の中で磨かれた。現在でも宮殿内で古楽演奏会が行われる。
逸話
映画「めぐり逢う朝」で描かれたマレとサント=コロンブの師弟関係は、音楽史上最も劇的な師弟関係のひとつだ。師は「もはや教えることはない」とマレを追い出したが、マレは諦めなかった。床下に潜って師の演奏を聴き続けた——この「盗み聴き」によって、サント=コロンブが教えることを拒んだ「音楽の秘密の深み」をマレは体得したとも言われる。師が意図的に教えなかったものを、弟子は意図せずして学んだ。
「胆石手術の情景」は、マレ自身が胆石手術を受けた経験から生まれたとも、当時の手術を見学した体験から書いたとも言われる。いずれにせよ、「音楽で外科手術を描写する」という発想は300年先を行く現代的な感覚だ。
- サント=コロンブ(直接の師・ヴィオール最高峰)
- リュリ(フランス宮廷音楽の様式)
- ルイ14世宮廷の豪華な音楽文化
- イタリア・バロックの旋律性
- クープラン(フランス・バロック小品の様式)
- バッハ(フランス組曲の書法に間接的影響)
- 現代の古楽運動(ジョルディ・サバール等)
- フランス・バロック弦楽器音楽全般