生涯
1632年、フィレンツェの製粉業者の家に生まれた。本名はジョヴァンニ・バッティスタ・ルッリ。14歳でパリのオルレアン公爵家に仕え、フランス語とダンスを習得した。才能を認められ、1653年に国王ルイ14世の宮廷に入った。
ルイ14世はバレエを愛し、自ら踊るほどの舞踊狂だった。リュリもバレエ音楽で王の寵愛を得て、1661年には「王室音楽監督」、1672年には「王立音楽アカデミー(後のパリ・オペラ座)」の独占的な支配権を手に入れた。以後、フランス国内で彼の許可なくオペラを上演することは法律で禁じられた。
1687年、リハーサル中に大型の指揮棒(当時は長い杖でテンポを床に打ちつけて指揮した)を自分の足指に突き刺してしまった。壊疽が広がり、54歳で死去。「指揮棒で自分を刺して死んだ」という前代未聞の死因は、後世にも語り継がれている。
人となり
リュリは 権力の魔術師 だった。音楽の才能だけでなく、政治的な才覚・宮廷での人脈・法的な独占権の確立によって、フランス音楽界を完全に支配した。イタリア生まれでありながら、誰よりも「フランス的」な音楽様式を作り上げ、それを国際的に広めた逆説の人物。
音楽スタイル
リュリが確立した「フランス・バロック様式」の特徴は 壮麗さ・規律・格調 だ。イタリアのオペラが感情的な歌唱(ベル・カント)を中心とするのに対し、リュリのフランス・オペラは語りに近い朗唱(レシタティーフ)を重視し、バレエ・合唱・舞台装置を組み合わせた壮大な総合芸術を目指した。
「フランス式序曲(オーヴェルチュール・フランセーズ)」を確立した功績も大きい。荘重な付点リズムの遅い序奏部と、活発なフーガ風の快速部を組み合わせた形式は、バッハのフランス組曲やヘンデルの「メサイア」序曲にも影響を与えた。また、当時非常に速かったダンスのテンポを規律化し、現在の音楽用語のテンポ概念の礎を作った。
代表作品
リュリ最後の大作。タッソの叙事詩に基づく魔女アルミードの悲劇的な愛の物語。フランス・バロック・オペラの最高峰と評される。
リュリ・オペラ様式を確立した代表的傑作。ヴェルサイユ宮殿での初演はルイ14世を大いに喜ばせた。フランス・バロック・オペラの原型。
祝典のために書かれた合唱・管弦楽・トランペットのための大規模な宗教曲。1687年、この曲のリハーサル中に自分の足を指揮棒で突いて死亡した。
モリエール作・リュリ作曲の黄金コンビによる傑作。貴族になりたがるブルジョワを風刺した喜劇に、絶妙なバレエ音楽が融合。今も上演される名作。
全作品リスト(主要・抜粋)
抒情悲劇(オペラ)
- 1673カドミュスとエルミオーヌ(初のフランス語オペラ)
- 1674アルセスト
- 1676アティス(「王のオペラ」と呼ばれた)
- 1682プロセルピーヌ
- 1684アマディス・ド・ゴール
- 1686アルミード
バレエ・コメディ・バレ
- 1661不機嫌な恋人たちのバレ(ルイ14世出演)
- 1670町人貴族(モリエールと共作)
- 1671プシュケ(モリエールと共作)
- 多数宮廷バレエ(コレオグラフィー込み)
宗教音楽
- 1677テ・デウム(死の原因となった曲)
- 多数グラン・モテ(大合唱曲)
- 多数プティ・モテ(小合唱曲)
ピアノ史への貢献
リュリが確立した「フランス式序曲」は、バッハ・ヘンデルを経由して鍵盤音楽に大きな影響を与えた。バッハのフランス組曲・イギリス組曲の序曲部や、パルティータの前奏曲形式は、リュリが確立した様式を直接継承している。
また「フランス・バロック」の重要なスタイルである「付点音符を強調した重厚なリズム」は、バロック鍵盤音楽の演奏実践において今も重要な課題だ。バッハのフランス組曲を弾くとき、そのリズム感の根底にリュリの音楽が流れている。
さらに、後のラモー・クープランのフランス鍵盤音楽はリュリなしには存在しなかった。ラモーのクラヴサン曲集が持つ壮麗な様式感は、リュリが作り上げたフランス・バロックの美学を鍵盤音楽に移植したものだ。
リュリの音楽が毎日演奏されたフランス宮廷の中枢。「王室のヴァイオリン24人」が演奏した鏡の間、オペラが初演されたヴェルサイユ王立オペラ劇場は今も訪れることができる。
リュリが1672年に独占経営権を得た「王立音楽アカデミー」の後継機関。現在のオペラ座はリュリの時代より後に建てられたが、フランス・オペラの歴史的中枢として彼の遺産を継承する。
リュリが埋葬された聖堂。モリエールの葬儀も行われた文化の中心地。リュリの墓碑は今も礼拝堂の一角にある。
逸話
リュリの死因は音楽史上最も奇妙なもののひとつだ。1687年1月8日、ルイ14世の病気回復を祝うテ・デウムのリハーサル中、長い指揮棒(バトン)を床に打ちつけてテンポを示そうとした際に、誤って自分の足指を突き刺した。傷口から壊疽が広がり、2か月後の3月22日に死去した。医師から「壊疽部分を切断すれば助かる」と言われたが、リュリはダンサーとしてのキャリアへの愛着から切断を拒否したともいわれる。
リュリは音楽の独占権を法律で手にするため、当時珍しかった「帰化」によってフランス国籍を取得した。イタリア人が「フランス音楽」を定義したという逆説は、音楽史の中でも特に面白い事実のひとつだ。
モリエールとの関係は友情でもあり、複雑な協力関係でもあった。「町人貴族」の大成功の後、二人は決別した。リュリが演劇音楽の独占権を求めてモリエールを法的に排除しようとしたのが原因とも伝えられる。
- イタリアのオペラ(モンテヴェルディ・カヴァッリの語法)
- フランス宮廷バレエの伝統(イザック・ド・バンセラード等)
- モリエール(劇音楽の総合的な発展)
- フランス語の詩の抑揚(フランス式レシタティーフの開発)
- ラモー(フランス・オペラとクラヴサン音楽の継承者)
- F.クープラン(フランス・バロック様式の確立)
- J.S.バッハ(フランス式序曲・組曲のリズム様式)
- ヘンデル(フランス式序曲形式の継承)
学習者にとって
リュリ自身の鍵盤音楽の作品は少なく、ピアノ学習者が直接「リュリを弾く」機会は限られている。しかし彼の音楽を知ることは、バロック音楽の演奏実践を深める上で非常に重要だ。
バッハのフランス組曲・イギリス組曲を弾くとき、「なぜこのリズムなのか」「なぜこの構成なのか」を理解するためにリュリを聴くことが助けになる。特にアルマンド・クーラント・サラバンドという舞曲形式の「フランス的な重厚感」は、リュリのバレエ音楽を聴くことで体感できる。
「フランス式序曲の付点リズムをどう弾くか」は、バロック音楽演奏の永遠の課題だ。リュリのオーケストラ作品を聴いて「本来どんな音楽だったか」を耳で確認することが、バッハのフランス様式作品の演奏を豊かにする。