生涯
1873年、ロシアの貴族の家に生まれた。19歳で交響曲第1番を作曲するも、初演大失敗で深刻なうつ病に陥り、3年間作曲できなくなる。心理療法士ニコライ・ダールの治療を受けて回復し、ピアノ協奏曲第2番でカムバック。この曲を彼は「ダール博士に」と献呈した。
ロシア革命(1917年)でアメリカに亡命。以降は主にピアニストとしてアメリカで活動した。手が極端に大きく(13度以上を楽に押さえられた)、彼自身が弾けるよう書かれた作品は他のピアニストには困難なほど。
1943年、米国カリフォルニアで70歳で世を去った。葬儀は彼が愛したロシア正教の儀式で執り行われた。
音楽スタイル
深い憂愁、長大な旋律、複雑な和声、巨大な技巧を組み合わせた最後のロマン派。彼の音楽の根底にはロシア正教の鐘の響きがあり、独特の重低音と荘厳な響きが特徴。
代表作品
前奏曲 嬰ハ短調 Op.3-2「鐘」
20歳で書いた最初の出世作。
ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18
うつ病から回復した記念碑的作品。映画でも頻繁に使用される。
ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 Op.30
「ピアノ協奏曲の最高峰」と言われる超大作。
前奏曲集 Op.23, 32(合わせて24曲)
ショパン的な多彩な小品。
音の絵 Op.33, 39
より色彩的で技巧的な小品集。
パガニーニの主題による狂詩曲 Op.43
第18変奏のメロディが特に有名。映画『ある日どこかで』で。
ピアノソナタ第2番 Op.36
技巧と表現の頂点。改訂版あり。
聖地巡礼
生家跡
セミョノヴォ村
ノヴゴロド州・ロシア
1873年に生まれた村。記念碑あり。
ロシアの別荘
イヴァノフカ
タンボフ州
夏を過ごし作曲した別荘。革命前の創造の場。
亡命後の住居
セナール荘(スイス)
Hertenstein, Lucerne, Switzerland
ルツェルン湖畔の別荘。
墓
ケンシコ墓地
Valhalla, NY, USA
ニューヨーク州。亡命先で永眠。
姿と場所
影響関係
影響を受けた
- チャイコフスキー
- ショパン
- リスト
- ロシア正教音楽
影響を与えた
- ハリウッド映画音楽
- ホロヴィッツ
- 20世紀ロシアピアニスト
学習者にとって
前奏曲 Op.3-2 は中〜上級。Op.23-5(ト短調)は技巧の名作。協奏曲・ソナタは上級〜プロ向け。「手が小さくて弾けない」と諦める人多数。