Composers

作曲家

Composer Profile

イーゴリ・ストラヴィンスキー
1882 – 1971 ロシア/フランス/アメリカ 近代/現代

イーゴリ・ストラヴィンスキー

「春の祭典」で世界を震撼させた 20 世紀最大の作曲家。

生涯

1882 年、サンクトペテルブルク近郊で生まれた。リムスキー=コルサコフに師事。1910 年バレエ・リュスのための「火の鳥」で一夜にして世界的名声を得る。

1913 年「春の祭典」のパリ初演は史上最大の音楽スキャンダルとなり、観客が乱闘する大騒動の中で 20 世紀音楽の幕を開けた。革命後フランスに亡命、戦後はアメリカに移住。

ロシア・原始主義 → 新古典主義 → 十二音技法と、生涯にわたって作風を変え続けた「変容の作曲家」。1971 年、ニューヨークで 88 歳で世を去った。墓はヴェネツィアにある。

人となり

ストラヴィンスキーの人となりを示す 4 つの側面。

革命
「春の祭典」の衝撃
1913 年パリ初演で観客大乱闘。リズムと不協和音で 20 世紀音楽を切り開いた。
変容
3 つの作風
ロシア原始主義 → 新古典主義 → セリエル音楽と、生涯で大きく作風を変えた。「自分はカメレオン」と自称。
ピアノ
打楽器としての扱い
「ペトルーシュカからの 3 章」「ピアノ・ラグミュージック」など、ピアノを打楽器的に使う新しい書法を提示。
交友
20 世紀芸術の中心
ピカソ、ココ・シャネル、ジャン・コクトーらと交流。20 世紀芸術運動の中心人物。

一日のルーティン

ストラヴィンスキーは 「サラリーマンのような規則正しさ」 で創作した。「アイデアは机に向かって生まれる」が口癖。

7:00–8:00 起床、朝食。新聞を読む。
8:00–9:00 体操、ストレッチ。健康への執着で知られた。
9:00–13:00 作曲。机に向かって楽譜を書く。「インスピレーションを待つのではなく、来るように仕向ける」
13:00–15:00 昼食、休憩。
15:00–18:00 オーケストラのリハーサル、または書簡。
18:00–20:00 夕食。友人・芸術家との会食。
20:00–22:00 読書、書簡。妻ヴェーラとの時間。

音楽スタイル

ストラヴィンスキーの様式は 「3 つの完全に異なる時期」 を生きた。

ロシア原始主義(1910–1920):「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」。ロシア民族音楽とリズムの暴力。

新古典主義(1920–1951):「プルチネルラ」「ピアノソナタ」「セレナーデ」。バッハ・モーツァルトへの回帰、しかし 20 世紀的な皮肉と歪み。

セリエル音楽(1951–1971):「カンティクム・サクルム」「アゴン」。シェーンベルク死後にセリエルへ転向。

全作品リスト(主要)

ピアノ独奏

  • 「ペトルーシュカからの 3 章」
  • セレナード イ調
  • ピアノソナタ
  • タンゴ
  • 「サーカス・ポルカ」(4 手連弾)

協奏的作品

  • ピアノと管楽器のための協奏曲
  • カプリッチョ(ピアノと管弦楽)
  • エボニー協奏曲(クラリネットとジャズバンド)

バレエ・大作

  • 「火の鳥」
  • 「ペトルーシュカ」
  • 「春の祭典」
  • 「プルチネルラ」
  • 「結婚」(4 台のピアノと打楽器)

代表作品(ピアノで弾ける)

ピアノ史への貢献

「リズムの解放」 という 20 世紀最大の音楽革命を成し遂げた。それまでの西洋音楽が「拍子の枠」の中で動いていたのに対し、「春の祭典」は 変拍子・複拍子・打撃的アクセント でリズムを音楽の中心要素に押し上げた。これは後のジャズ、ロック、現代音楽すべてに影響。ピアノ書法でも 「打楽器としてのピアノ」 という新しい概念を提示。

聖地巡礼

ストラヴィンスキーゆかりの地は サンクトペテルブルク(生地)・スイス(初期亡命)・パリ・ロサンゼルス・ヴェネツィア(墓所)

墓所
サン・ミケーレ墓地(ヴェネツィア)
Isola di San Michele, 30141 Venezia
彼の希望でヴェネツィアの島の墓地に妻ヴェーラと共に眠る。ディアギレフの墓もすぐそば。
ヴェネツィアからヴァポレット(水上バス)で。
住居
スイス・モルジュ
Salle Igor Stravinsky, Morges, Switzerland
スイス時代に住んだ街。記念ホール・像がある。
ジュネーブから列車で 30 分。
博物館
バレエ・リュス資料館(パリ・オペラ座図書館)
Place de l'Opéra, 75009 Paris
「春の祭典」初演時の衣装・舞台美術が保管。
メトロ Opéra 駅すぐ。

逸話

「春の祭典」初演の混乱は、音楽史上最も有名なスキャンダルとして語り継がれる。

1913 年パリ初演
「春の祭典」初演で観客の半数が立ち上がって罵声、もう半数が熱狂的に擁護。乱闘・警察出動で公演中断。サン=サーンスは「狂気だ」と席を立ったが、ラヴェルは「天才」と称賛。
ココ・シャネルとの噂
パリ亡命時、ココ・シャネルの邸宅に滞在。財政支援を受けた。恋愛関係にあったかは諸説あるが、強い絆だったことは確か。
「私はあなたが嫌い」
ピアニスト・指揮者のアンセルメに「私はあなたが嫌い」と書簡で告げた直後、別の曲を彼に献呈。複雑な人間関係で知られた。
終身青年
70 歳のとき、若い指揮者ロバート・クラフトと出会い、自身の音楽を 12 音技法へ転向。「私は若くなるために変わる」と発言。

影響関係

学習者にとって

ストラヴィンスキーのピアノは 20 世紀の必修「タンゴ」「サーカス・ポルカ(連弾)」 は中級者でも楽しめる。「ペトルーシュカからの 3 章」 は超難曲だが、ピアノの「打楽器化」を学べる 20 世紀ピアノ書法の頂点の一つ。