生涯
1548 年頃、スペイン中部の古都アビラに生まれた。少年時代をアビラ大聖堂の聖歌隊で過ごし、変声ののち、奨学金を得て音楽の都ローマへと留学した。
ローマのドイツ人学院(コレギウム・ゲルマニクム)で学び、やがて同院で教職に就いた。この地でパレストリーナと親しく交わり、その後継者と目されるようになる。司祭に叙階された、深く敬虔な宗教家でもあった。1587 年頃にスペインへ帰国してからは、マドリードの王立跣足女子修道院で、皇太后マリアに仕える礼拝堂楽長・オルガニストとして静かな後半生を送り、1611 年に世を去った。
ビクトリアは世俗曲を一切書かず、生涯のすべてを宗教音楽に捧げた。その音楽は、スペイン神秘主義を思わせる燃えるような情熱と、深い瞑想をたたえている。とりわけ、皇太后マリアの死を悼んで書いた「レクイエム(1605)」は、ルネサンス宗教音楽の到達点の一つとされ、今日も世界中で歌い継がれている。
人となり
ビクトリアの人となりを示す 4 つの側面。
信仰
祈りだけの生涯
世俗曲を一切書かず、全作品を宗教音楽に捧げた。司祭でもあった、敬虔きわまる音楽家。
情熱
燃える神秘主義
スペイン神秘思想を思わせる、劇的で情熱的な感情を、澄んだ宗教音楽に込めた。
頂点
不朽のレクイエム
皇太后のための「レクイエム(1605)」は、ルネサンス宗教音楽の最高峰と讃えられる。
継承
パレストリーナの後継
ローマでパレストリーナに学び、その澄明な様式をスペインへと受け継いだ。
代表作品(無料楽譜へ)
「レクイエム(1605)/六声の死者のための聖務曲」
皇太后マリアに捧げた、円熟の極みの葬送音楽。彼の最高傑作。
モテット「おお、大いなる神秘(オ・マグヌム・ミステリウム)」
降誕の神秘を歌う、最も広く愛されているモテット。
「聖週間の聖務(レスポンソリウム)」
受難週のための、劇的で深い哀しみをたたえた宗教曲集。
モテット「アヴェ・マリア」
澄みきった祈りに満ちた、四声の美しいマリア賛歌。
モテット「われは黒し、されど美し(ニグラ・スム)」
旧約聖書「雅歌」による、官能的で神秘的なモテット。