生涯
1661年、テューリンゲン州のホーエンキルヒェンに生まれた。ヨハン・クリストフ・ベーム(父)の息子として早くから音楽教育を受けた。若い頃にハンブルクに出て、ヤン・アダム・ラインケンのもとで学んだとされる。この北ドイツ・オルガン楽派での修行がベーム様式の核心を形成した。
1698年、ハンブルク近郊のリューネブルクにあるヨハン教会のオルガン奏者に就任。以後1733年に72歳で亡くなるまで、35年間この職を全うした。リューネブルクは若いJ.S.バッハが1700〜1702年頃に奨学金を得て学んでいた地で、少年バッハはベーム元に学んだとされる。
人となり
ベーム自身はバッハほどの知名度を持たないが、音楽史的な意義は大きい。「バッハを形成した師匠」 として、ブクステフーデと並んでバッハの鍵盤音楽の源流に位置する。特に「コラール・パルティータ(賛美歌を主題にした変奏曲)」という形式を確立し、それがバッハに直接受け継がれた。
音楽スタイル
ベームの音楽は 「北ドイツの格調とフランスの華やかさの融合」 だ。北ドイツ・オルガン楽派の重厚な対位法と、フランス宮廷音楽の洗練された装飾音・リズムを組み合わせた独自の様式を確立した。この両様式の融合は後のバッハの「フランス組曲」「イギリス組曲」にも見られる特徴だ。
コラール(賛美歌)の取り扱いにおいては、単純な旋律を複雑に変奏しながらも、原旋律の「聞こえやすさ」を保つバランス感覚に優れていた。「装飾しながらも本質を見失わない」この感覚はバッハにも受け継がれた。
代表作品
ルター派の賛美歌を主題にした変奏曲の代表作。コラール旋律が各変奏で異なる様式(フランス風・コラール・アリア・ジグなど)で展開される。バッハの同形式の直接の手本。
トッカータ的な即興性とフーガ的な対位法を組み合わせた前奏曲。バッハの初期トッカータに直接つながる書法が随所に見られる。バッハが若い頃に学んだ「見本」のひとつ。
アルマンド・クーラント・サラバンド・ジグからなる鍵盤組曲。フランス・バロックの組曲形式を北ドイツのオルガン様式で書いた傑作。バッハの組曲書法の先行形。
ピアノ史への貢献
ベームの最大の貢献は 「コラール・パルティータ」の確立 だ。この形式——賛美歌旋律を主題にした変奏曲——はバッハ BWV 766-771(コラール・パルティータ集)に直接受け継がれ、そこからゴルトベルク変奏曲(BWV 988)への道が開かれた。ピアノ学習者が「変奏曲」という形式に初めて出会う際、バッハを通じてベームの影響に間接的に触れている。
また、フランス様式とドイツ対位法の融合——バッハのフランス組曲の核心にある様式——は、ベームがリューネブルクで実践していたことでもある。「バッハがあの様式をどこで学んだか」という問いへの答えのひとつがベームだ。
ベームが35年間オルガン奏者を務めた教会。若いバッハもここでベームの演奏を聴いたとされる。現在も礼拝と演奏会が行われる歴史的な教会。
バッハがリューネブルク聖ミカエル修道院付属学校で学んだ街。ベームのヨハン教会とバッハの学校が徒歩圏内にあり、二人の関係が地理的にも確認できる場所。
逸話
バッハとベームの師弟関係の詳細はいまだ議論中だ。バッハの伝記に「リューネブルクでベームに学んだ」という明確な記録はないが、バッハの自筆写譜にベームの作品が複数含まれていることは確認されている。「師弟」というより「先輩から音楽を盗む少年バッハ」という関係だったかもしれない。
ベームはバッハより24歳年上で、バッハが「巨人」になってからも12年間生きた。晩年のベームにとって、かつてリューネブルクにいた少年が「神が与えた音楽家」と称賛されるのをどんな気持ちで聞いたか——その感慨を伝える記録は残っていない。
- ラインケン(ハンブルク・オルガン楽派)
- スヴェーリンク→シャイト(北ドイツ・オルガンの系譜)
- リュリ(フランス宮廷音楽の様式と装飾音)
- ブクステフーデ(北ドイツ・バロック・オルガンの頂点)
- J.S.バッハ(コラール・パルティータ・組曲様式の直接の手本)
- 北ドイツ・オルガン楽派の継続