生涯
1658年、ヴェローナに生まれた。若い頃にボローニャに移り、サン・ペトロニオ大聖堂のオーケストラでヴァイオリン奏者・ヴィオラ奏者として活動した。ボローニャはイタリア器楽音楽の中心地で、コレッリが確立したコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)の様式が盛んだった。
1695年頃からアンスバッハ(ドイツ)の宮廷に移り、1699年まで活動した。この時期にドイツの音楽家たちと交流し、自らの協奏曲様式を発展させた。1701年にボローニャに戻り、サン・ペトロニオ大聖堂の音楽監督に就任。1709年、ボローニャで死去した。
人となり
トレッリの本質は 「形式の建築家」 だった。音楽の「形式」——独奏者とオーケストラがどう対話し、どの順番で何を演奏するか——を設計することに卓越した才能を持っていた。「独奏協奏曲(ソロ・コンチェルト)」という形式は、コレッリの合奏協奏曲(複数独奏者)から「たったひとりの独奏者対オーケストラ」に洗練させたトレッリの発明だ。
音楽スタイル
トレッリの音楽は 「シンプルで機能的な構造美」 だ。コレッリのような豊かな和声変化や、ビーバーのような技巧的な独自性はないが、「独奏とオーケストラをどう配置するか」という建築的な思考においては突出していた。
リトルネッロ(繰り返し句)の使い方——毎回同じ旋律でも、転調して戻ることで新鮮さを保つ——は、ヴィヴァルディの協奏曲へと直結する。バッハがヴィヴァルディを写譜して学んだことは有名だが、その元にはトレッリの形式的な革新がある。
代表作品
最晩年の傑作。全12曲のうち第6番・第8番(クリスマス協奏曲)が特に有名。独奏協奏曲として完成された形式を持ち、ヴィヴァルディの協奏曲の直接の先駆け。
クリスマス前夜の礼拝のために書かれた協奏曲。コレッリの「クリスマス協奏曲」と並ぶバロック標題協奏曲の名作。穏やかで清澄な最終楽章「パストラーレ」が特に愛される。
コレッリ様式を継承しながら独自に発展させた合奏協奏曲集。独奏群(コンチェルティーノ)と合奏群(リピエーノ)の対比が明快で、形式を学ぶ素材として優れている。
ピアノ史への貢献
トレッリが確立した「リトルネッロ形式」は、ピアノ協奏曲の歴史を理解する上で不可欠な概念だ。モーツァルト・ベートーヴェンのピアノ協奏曲第一楽章でオーケストラが冒頭に主題を演奏し、ソリストが入って来る構造は、トレッリが整備したリトルネッロ原理の後継だ。
バッハは自分のチェンバロ協奏曲(BWV 1052-1058)を書く際にヴィヴァルディの協奏曲を大量に写譜・編曲した。そのヴィヴァルディの形式の源流はトレッリにある。つまりトレッリ→ヴィヴァルディ→バッハという形式の継承が、ピアノ協奏曲の歴史を生んだと言える。
トレッリが長年活動したボローニャ最大の教会。未完成のままの巨大なファサードで知られ、内部には素晴らしいパイプオルガンがある。バロック時代の器楽音楽の殿堂。
トレッリが1695〜1699年に宮廷音楽家として活動した街。小規模だが歴史的な宮廷音楽の中心地。バイエルン・バロック音楽の雰囲気を今も残す。
逸話
トレッリは「独奏協奏曲の発明者」か「コレッリの模倣者」かという議論は今も続いている。音楽学者の間では「1700年頃に独奏協奏曲形式を最初に実用化した」というコンセンサスが形成されつつあるが、ヴィヴァルディが同時期に独自に開発していた可能性も否定できない。「誰が最初か」より「同時多発的な革新の波」と捉えた方が歴史的に正確かもしれない。
クリスマス協奏曲(Op.8-6)の最終楽章「パストラーレ」には「クリスマスの夜に演奏するために」という指示が書かれている。作曲家が演奏の場面・時刻・状況を指定した最初期の例の一つで、バロック音楽の「標題性」の萌芽を示している。
- コレッリ(コンチェルト・グロッソの形式)
- ボローニャ楽派の器楽音楽伝統
- アルビノーニ(同時代イタリア協奏曲の開発者)
- ドイツ宮廷音楽(アンスバッハでの体験)
- ヴィヴァルディ(独奏協奏曲の形式と書法)
- J.S.バッハ(チェンバロ協奏曲の構造原理)
- ヘンデル(オルガン協奏曲・合奏協奏曲)
- 古典派協奏曲の全ての作曲家(リトルネッロ形式を通じて)