ゲオルク・ムファット
1653 – 1704 サヴォワ生まれ/ドイツ・オーストリア活躍 バロック

ゲオルク・ムファット

二つの様式の橋渡し — リュリとコレッリの両方に学び、フランスとイタリアを一つに融合させた。

生涯

1653年、サヴォワ地方(現フランス・イタリア国境付近)に生まれた。若い頃にパリへ渡り、6年間フランス宮廷に仕え、リュリの指導を直接受けた。その後ローマに移り、コレッリの楽団に加わりイタリアのバロック音楽を深く学んだ。

ザルツブルクで宮廷オルガン奏者を務めた後、1690年にパッサウ司教の宮廷楽長に就任し、1704年に死去するまでその地位を守った。息子ゴットリープ・ムファットも著名な作曲家となり、父の二刀流(フランス・イタリア)スタイルを継承した。

人となり

ムファットの本質は 「翻訳者」 だった。リュリのもとでフランス宮廷音楽を、コレッリのもとでイタリアのバロック・ソナタを学び、その両者を融合させて南ドイツ・オーストリアに伝えた。バッハがフランス組曲とイタリア協奏曲の両方を書けたのも、ムファットのような「翻訳者」がドイツ語圏に両様式を持ち込んだからだ。

二つの大師に学ぶ
リュリ+コレッリ
当時の二大巨匠——フランスのリュリとイタリアのコレッリ——の両方に直接学んだ奇跡的な経歴。「フランス様式の優雅さ」と「イタリア様式の感情的豊かさ」を同時に自分のものにした。
演奏実践の記録者
演奏法の教科書を残した
「フロリレギウム(花束)」の序文で、フランス式とイタリア式の弓使い・装飾音・テンポの違いを詳細に解説した。現代の古楽演奏家にとって17世紀末の演奏習慣を知る一次資料として重要。
コレッリとの深い絆
コレッリの音楽をドイツへ
コレッリの合奏協奏曲をドイツ語圏に紹介するための編曲・出版も手がけた。コレッリ→ムファット→ドイツ宮廷→バッハというルートで、イタリア協奏曲の様式がバッハへ届いた。
鍵盤曲の先駆
組曲・トッカータの南ドイツ様式
オルガン・チェンバロのための組曲・トッカータも重要。フレスコバルディの影響を受けた鍵盤様式と、フランス的な優雅さを融合させた。息子ゴットリープはこの鍵盤曲でさらに活躍した。
フランスは美しさを教えてくれ、イタリアは深さを教えてくれた。私が作るのは、その両方を持つ音楽だ。 ゲオルク・ムファット(「フロリレギウム」序文より)

音楽スタイル

ムファットの音楽は 「洗練と力の共存」 だ。フランス宮廷音楽の华麗な装飾音・優雅な旋律と、イタリアの強烈な感情表現・豊かな和声を巧みに融合させた。これは17世紀末のヨーロッパで「普遍的な様式(趣味の融合)」として理想とされた方向性だ。

合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソ)においては、コレッリから学んだ様式をドイツの厳密さで整理し、形式的な完成度を高めた。弦楽器の書法は特に優れており、アンサンブルの各パートの独立性と全体の調和が高いレベルで実現されている。

代表作品

フロリレギウム(花束)第1集・第2集 1695年・1698年

フランス様式の組曲を集めた管弦楽曲集。リュリのフランス宮廷音楽スタイルで書かれた優雅な組曲群で、重要な序文には当時の演奏実践(弓使い・装飾音)の詳細が記されている。古楽演奏の貴重な資料。

合奏協奏曲集(コンチェルト・グロッソ)Op. 6 1701年

コレッリの様式を継承した12曲の合奏協奏曲集。ドイツ語圏にコレッリ様式を広めた重要な作品群。バッハはこれらを写譜・研究したとされ、バッハのブランデンブルク協奏曲への系譜に連なる。

アルモニア・アルティフィキオーサ(精巧な調和) 1701年頃

変則的な調弦法(スコルダトゥーラ)を使った7つのパルティータ。ビーバーの影響を受けつつ、フランス・イタリア両様式を取り込んだ実験的な室内楽曲集。バロック弦楽器音楽の奇作。

ピアノ史への貢献

ムファットの直接の鍵盤曲遺産は少ないが、彼が南ドイツにもたらした 「フランス様式とイタリア様式の融合」 の概念は、バッハの鍵盤音楽の形成に不可欠だった。バッハが「フランス組曲」(フランス様式)と「イタリア協奏曲」(イタリア様式)の両方を書けたのは、ムファットのような「文化の翻訳者」がその両様式をドイツ語圏に持ち込んでいたからだ。

また、ムファットが「フロリレギウム」序文に残した演奏実践の記録は、現代のバロック・ピアノ(フォルテピアノ)や鍵盤楽器奏者にとって当時の装飾音の付け方・テンポの解釈を知るための一次資料として今も参照されている。

パッサウ大聖堂(ドイツ・バイエルン州)

ムファットが晩年を過ごしたパッサウの司教の宮廷。パッサウはドナウ川・イン川・イルツ川の合流点に位置する美しい都市。世界最大のパイプオルガン(1万7774本のパイプ)を持つ大聖堂が有名。

ザルツブルク(オーストリア)

ムファットが宮廷オルガン奏者を務めた都市。ビーバーとほぼ同時期のザルツブルクで活動した。モーツァルト生誕地としても知られる音楽都市。

逸話

ムファットが「フロリレギウム」の序文でフランス式とイタリア式の弦の弓使いの違いを克明に記したのは、自分の経験から来ている。リュリのもとでパリで学び、コレッリのもとでローマで学んだ「二つの世界を渡り歩いた者」だけが書ける比較論だ。「同じ音符を、フランス人はこう弾き、イタリア人はこう弾く」という具体的な解説は、300年後の現代でも古楽演奏家の必読資料となっている。

息子のゴットリープ・ムファット(1690-1770)も著名な作曲家となり、ウィーン宮廷チェンバロ奏者として活躍した。特に72の鍵盤組曲「コンポーニメンティ」でハイドン・モーツァルト世代への橋渡しを担った。父から息子へと続く「二つの様式の融合」のバトンが、バロックから古典派への移行を担った。

影響を受けた
  • リュリ(フランス宮廷音楽・直接の師)
  • コレッリ(イタリア協奏曲・室内楽の師)
  • フレスコバルディ(鍵盤音楽の技法)
  • サヴォワ・フランス・ドイツの多文化的背景
影響を与えた
  • フィッシャー(南ドイツのフランス様式への道)
  • J.S.バッハ(フランス+イタリア様式融合の概念)
  • ゴットリープ・ムファット(息子・ウィーン宮廷チェンバロ奏者)
  • 南ドイツ・オーストリアの宮廷音楽文化