生涯
1679年、ボヘミア(現チェコ)のルウドニッツに生まれた。若い頃にプラハで学んだ後、1710年頃にドレスデンのザクセン宮廷楽団にコントラバス奏者として入団した。その後ウィーンでフックスに対位法を学び、ローマでも研鑽を積んだ。
ドレスデンに戻ってからは宮廷の音楽家として活躍したが、楽長の地位は得られなかった。才能は誰もが認めるのに、昇進できないというジレンマを抱えたまま、1745年に66歳でドレスデンで死去した。
人となり
ゼレンカの本質は 「認められなかった天才」 だ。J.S.バッハは彼の作品を入手し研究した記録があり、バッハの息子カール・フィリップ・エマヌエルは「父はゼレンカを最も偉大な対位法家と考えていた」と証言している。しかし当時のドレスデンでは「外国人」として冷遇され続けた。
音楽スタイル
ゼレンカの音楽は 「バロック対位法の極限」 だ。バッハと同様に複雑なフーガや対位法を得意としながら、ゼレンカ独自の激しい半音階的な和声進行・予期しない不協和音・複雑な声部の絡み合いを持っていた。「バッハより個性的」「バッハより前衛的」と評されることもある。
宗教曲においては特に力を発揮し、テキストの感情と音楽的表現の一致において卓越していた。悲しいテキストには激しい不協和音、喜びには明快な協和音——そのテキスト描写の鮮明さはバッハに引けを取らない。
代表作品
2本のオーボエ(またはヴァイオリン)とファゴット・通奏低音のための6曲。当時のソナタ概念をはるかに超えた複雑な対位法と豊かな感情表現を持つ。器楽室内楽の中でも最難の部類に入る傑作。
「神よ、あなたの慈しみによって私をあわれんでください」という詩篇を歌った宗教曲。ゼレンカの最も感情的な声楽作品のひとつで、激しい半音階的な和声進行と深い悲しみの表現が圧倒的。
ドレスデン宮廷のために書かれた大規模な宗教曲。バロック様式の枠内でありながら、豊かな感情表現と複雑な対位法が共存する。バッハのロ短調ミサと比較されることもある格調の高さ。
ピアノ史への貢献
ゼレンカは直接のピアノ曲は残していないが、バッハが彼の音楽を研究したという事実は重要だ。「バッハが学んだもの」はすべてピアノ音楽の源流に影響を与えている。特に 「激しい半音階的和声進行」 は、バッハのクロマティックな作品(クロマティック幻想曲とフーガ BWV 903等)との関連が指摘されている。
より広く見れば、ゼレンカが示した「対位法の複雑さを感情表現の道具として使う」という姿勢は、バッハを経由してピアノ音楽の最も深い表現のひとつとなった。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏の複雑な対位法もその系譜にある。
ゼレンカが活動したドレスデンの象徴的な建物。第二次世界大戦で破壊されたが、2005年に再建された。ゼレンカの時代のドレスデン宮廷音楽の栄華を想像できる場所。
ゼレンカの自筆楽譜の多くが保存されている。世界最大のゼレンカ楽譜コレクションを持ち、現在も研究者が訪れる。ゼレンカ研究の中心地。
逸話
バッハとゼレンカは直接の面識があったとされる。バッハがドレスデンを訪問した際(1736年のオルガン演奏会等)に、二人が会ったかもしれない。しかし手紙等の直接的な証拠は残っていない。「バッハが最も偉大な対位法家」と言ったとする証言も、バッハ没後にCPEバッハが語ったもので、正確なニュアンスは不明だ。
ゼレンカは生涯独身を貫いた。ドレスデンで「外国人」として暮らした40年間、家庭も持たず音楽だけに生き、報われぬまま66歳で死去した。死後200年間ほぼ忘れられ、20世紀後半の古楽復興で「バロックの隠れた傑作」として再発見された。
- フックス(ウィーンで対位法を学んだ師)
- ローマのカトリック音楽(ローマ滞在期)
- ボヘミアの民族音楽的感覚
- ドレスデン宮廷のイタリア・バロック様式
- J.S.バッハ(宗教曲の対位法に間接的影響)
- 20世紀後半の古楽復興(隠れた傑作の再発見)
- チェコ音楽の国際的認知への貢献